仕切りのない箱の中を粒子が飛び回っているとします。箱の真ん中に線を 1 本引いたと考えて、左半分と右半分に分けます。この線は場所を区別するための目印にすぎず、粒子は左右を自由に行き来できます。
粒子が 1 個だけなら、ある瞬間に左半分と右半分のどちらにいるかは、見てみないとわかりません。左にいる確率も右にいる確率も \dfrac{1}{2} です。
粒子が 2 個なら、それぞれが左か右のどちらかにいるので、左右への分かれ方は 2 \times 2 = 4 通りです。粒子どうしが影響し合わないとすると、この 4 通りはどれも同じ確率で起こります。2 個とも左に寄るのはそのうちの 1 通りで、確率は \dfrac{1}{4} です。4 回に 1 回は起こるので、めずらしいことではありません。
図は粒子が 3 個のときの分かれ方 2^3 = 8 通りを、すべて並べたものです。箱の中の縦の線が真ん中の線で、箱の下の n は左にいる粒子の数です。粒子は 1 個ずつ高さを変えて描いてあるので、どれがどれかを見分けられます。左に 2 個いる分かれ方が 3 通りあるのは、どの 2 個が左にいるかを区別して数えているからです。
枠と粒子の色が変わるのは 1 度に 1 つの箱だけで、左上から順に次の箱へ移っていきます。3 個とも左に寄った n = 3 の箱の色が変わるのは、8 回に 1 回です。
このように粒子が少ないうちは、片寄った分かれ方もふつうに起こります。ところが、ほかの条件は何も変えずに粒子の数だけを増やしていくと、様子が大きく変わります。
粒子が N 個あるとき、分かれ方は全部で 2^N 通りあり、どれも同じ確率で起こります。そのうち左にちょうど n 個いる分かれ方の数は、N 個の中から左にいる n 個を選ぶ組み合わせの数 {}_N\mathrm{C}_n です。したがって、左にちょうど n 個いる確率は \dfrac{{}_N\mathrm{C}_n}{2^N} です。
このように、それぞれの粒子が確率 \dfrac{1}{2} で左右に分かれるとき、左にいる個数の確率分布を二項分布といいます。確率分布とは、左にいる個数がどの値をどれだけの確率でとるかを表したものです。大学の教科書では、 {}_N\mathrm{C}_n を \binom{N}{n} と書くことが多くあります。
図は横軸に n を取り、それぞれの n の分かれ方の数を棒の高さで表したものです。分かれ方の数は N が増えると急激に大きくなるので、どの N でもいちばん高い棒が同じ高さになるように描いています。色の違う棒は真ん中の n = \dfrac{N}{2} です。
N = 4 では棒の高さの差が小さく、どの n もそれなりに起こります。N を 12、40、120 と増やすと、高い棒は真ん中のあたりに集まり、両端の棒は見えないほど低くなります。
両端と真ん中を比べてみます。全部が左に寄る n = N は、N がいくつでも 1 通りしかありません。その確率は \dfrac{1}{2^N} で、N = 40 でもおよそ 1 兆回に 1 回です。いっぽう N = 40 で真ん中の n = 20 になる分かれ方は、約 1.4 \times 10^{11} 通りもあります。
左にいる個数の平均は \dfrac{N}{2} ですが、実際の個数がいつもちょうど \dfrac{N}{2} になるわけではなく、そのまわりでばらつきます。このように平均のまわりで値がばらつくことを、物理ではゆらぎといいます。
ゆらぎの大きさは標準偏差で表します。標準偏差は、値が平均からおおよそどれくらい離れるかを表す数です。二項分布の標準偏差は \sqrt{Np(1-p)} という式で表され、p は粒子 1 個が左にいる確率です。
ここでは p = \dfrac{1}{2} なので、根号の中は N \times \dfrac{1}{2} \times \dfrac{1}{2} = \dfrac{N}{4} になり、左にいる個数の標準偏差は \dfrac{\sqrt{N}}{2} です。N が大きいとき、左にいる個数は約 68\% の確率で、平均から上下に \dfrac{\sqrt{N}}{2} だけ離れた範囲の中に入ります。
N を 100 倍にすると、平均 \dfrac{N}{2} は 100 倍になりますが、標準偏差は \sqrt{100} = 10 倍にしかなりません。粒子が増えるほど、平均に比べて標準偏差は小さくなっていきます。
図は横軸に粒子の数 N、縦軸に左にいる個数 n を取ったものです。まっすぐな線が平均 \dfrac{N}{2} で、色を塗った範囲は、平均から上と下へ標準偏差だけ離れたところまでです。左右に動く縦の線は、その N での塗った範囲の上端から下端までを示していて、その長さは標準偏差の 2 倍の \sqrt{N} です。右へ行くほど塗った範囲は少しずつ縦に広がりますが、平均の線の高さと比べると、どんどん細くなっていきます。
粒子が多いときに大事なのは、半分からずれた個数そのものではなく、そのずれが全体に対してどれだけの割合かということです。左にいる個数が半分より 10 個多くても、全体が 100 個なら大きな片寄りですが、全体が 10^{6} 個なら、ほとんど片寄りがないのと同じです。私たちが測る量も、この割合で決まります。たとえば箱の左半分の気体の濃さ(密度)は、全体のうち何割が左にいるかで変わります。
そこで、左にいる割合 \dfrac{n}{N} のゆらぎを考えます。個数の標準偏差 \dfrac{\sqrt{N}}{2} を全体の数 N で割ると、N = \sqrt{N} \times \sqrt{N} なので \dfrac{1}{2\sqrt{N}} になります。これが、割合が \dfrac{1}{2} からおおよそどれくらいずれるかの目安です。
N = 100 なら 5\%、N = 10^{6} なら 0.05\% です。身のまわりの気体に含まれる分子はこれよりはるかに多く、1 モルで約 6 \times 10^{23} 個です。N = 10^{23} なら、ゆらぎは 10^{-12} ほど、つまり 1 兆分の 1 ほどしかありません。密度がこれだけしか違わなければ、測って見分けることはできません。
図は横軸に N、縦軸に \dfrac{1}{2\sqrt{N}} を取ったグラフです。N を 4 倍にしても値は半分にしかならないので、グラフはゆっくりとしか下がりません。それでも N が 10^{23} ほどもあれば、値は測れないほど小さくなります。
図は横軸を左にいる割合 \dfrac{n}{N} に変えて、N を 10^{2} から 10^{8} まで 100 倍ずつ増やしたものです。どの N でも、グラフのいちばん高いところの高さをそろえてあります。N = 10^{2} ではまだ幅のある山の形ですが、N = 10^{8} では \dfrac{1}{2} のところに立つ 1 本の線にしか見えません。
このように、数を増やすほど全体に対する割合が確率どおりの値に近づいていくことを、大数の法則といいます。コインを何度も投げると、表の出る割合が \dfrac{1}{2} に近づいていくのと同じことです。
10^{23} 個の粒子では、左右の数が半々から見てわかるほどずれることは、まず起こりません。起こる確率が 0 なのではなく、測れないほど小さいのです。ですから「左右の数はほぼ半々になる」と言い切ってかまいません。
そうであれば、粒子の動きを 1 個ずつ追う必要はありません。いちばん起こりやすい状態と、そのまわりのごく狭い範囲だけを考えれば十分です。10^{23} 個もの粒子の運動方程式を解かなくても全体のふるまいがわかるのは、このためです。
統計力学はここから始まります。次の記事では、いちばん起こりやすい状態を見つけるために、状態の数をどう数えるかを考えます。