ピューリタン革命とは、宗教的な対立によって起きたイギリスの内戦のこと。ピューリタンはイギリスのカルヴァン派の流れをくみ、「ピューリタン=プロテスタント」は厳密には誤りである。
ピューリタン革命の概要(チャールズ1世とクロムウェル)
イングランド王のジェームズ1世と次のチャールズ1世がピューリタンを弾圧したことをきっかけに、イギリスは王党派と議会派(ピューリタン派)に分かれた。
1625年にイングランド王になったチャールズ1世は、1642年に議会派と戦闘を始める。いわゆるピューリタン革命は1642年に始まったと考えられる。
ピューリタン革命では、独自の戦闘部隊をもっていたオリバー・クロムウェルが議会派の中で台頭し、チャールズ1世と王党派に勝利した。
ネイズビーの戦いでクロムウェルの支配が決定した。
イギリスのピューリタン革命と名誉革命
ルネサンスと宗教改革(ルターとカルヴァン)
ピューリタン革命の背景(イングランド国教会とピューリタン)
イングランド王のヘンリ8世は離婚問題からローマ教皇と対立し、イギリス・キリスト教会を独立させた。それまで教会から徴収する税の一部はローマ教皇に納めていたが、ローマ教皇との断絶によって税のすべてがイギリスに入ることになり、イギリス国王の財政は大幅に強化された。
さらにヘンリ8世は修道院を解散し、教会の首長になった。ヘンリ8世の改革により、イギリスは純粋なカトリックからイギリス国教会になった。イギリス国教会は、カトリックでもプロテスタントでもピューリタンでもない「イギリス国教会」というものである。
ヘンリ8世の宗教改革を受けついだエリザベス1世は、統一法を制定してイギリス国教会を強固にした。
イギリス王の変遷
ヘンリ8世(1491~1547、在位1509~1547)
エドワード6世
メアリ1世
エリザベス1世(1533~1603、在位1558~1603)
ジェームズ1世
エリザベス1世はフランスのアンリ4世(プロテスタント)を援助し、またカトリックを弾圧した。
エリザベス1世の長い治世において、イギリスの商工業者などはカルヴァンの思想から影響を受けて、イギリス国教会の改革派(ピューリタン)になった。
メモ
イギリス国教会はそもそも古いローマ・カトリックとの断然によって生まれた。この意味でイギリス国教会自体は、一種の宗教改革の成果だった。しかしイギリス国教会がカトリック的な伝統を残しすぎたために、イギリス国教会の中でさらに改革を望む者たちが出てきた。その改革派がピューリタンである。
ローマ・カトリック→イギリス国教会→ピューリタン
ピューリタンがカルヴァン派ともプロテスタントでも表現されないのは、ピューリタンという存在にとってカルヴァン主義が一つの側面にとどまるからである。ピューリタンは反カトリック、イギリス国教会の改革、カルヴァン主義の3つの性質をもっている。