極大イデアルで割ると、なぜ剰余体になるのか
可換環 のイデアル が極大イデアルであるとは、 であって、 を真に含む真のイデアルが一つもないことをいいます[1]。
つまり という状況が起きたら、 は そのものしかない。 と のあいだには何も入る余地がありません。
イデアル全体は包含関係で順序づけられる。極大イデアルは、その順序で のすぐ下に置かれた元。
イデアルの並びで見る
のイデアルは の形だけです。 は が を割ることと同じなので、包含関係はそのまま約数の関係になる。
を含むイデアルを並べると、 の約数の格子がそのまま現れる。
と の上には しかありません。 の上には が挟まるので、極大にはならない。
の極大イデアルは ( は素数)だけです[1,3]。約数を持たないことが、そのまま「上に何も挟まらない」に翻訳されている。
割ると体になる
極大イデアルの正体は、割った先を見るといちばんはっきりする。 を可換環、 をそのイデアルとすると、次の 2 つは同値になる[1,2,3,5]。
証明の骨は対応定理です。 を含む のイデアルと、 のイデアルが一対一に対応する。
体のイデアルは と全体の つしかありません。したがって が体なら、 を含むイデアルも と の つだけに絞られる。
逆向きも同じ対応で出る。 が極大なら のイデアルは つだけで、 でない可換環でイデアルが つしかなければ体。
を の剰余体と呼びます[1]。 が の剰余体にあたる。
剰余体で逆数が現れる瞬間
では、 を掛け続けると と 以外を全部通る。 に戻るので、 には逆数がある。
で を掛け続けると と往復するだけです。 に届かないので は逆数を持ちません。
は素数で は極大、だから は体になる。 は素数でなく は極大でないので、 は体になりません。
割った先が体かどうかという判定が、そのまま極大かどうかの判定になっている。
極大イデアルは素イデアルである
が極大なら は体です。体には零因子がないので、 は整域。
割った先が整域になるイデアルを素イデアルと呼びます。したがって極大イデアルはすべて素イデアルになる[2,4]。
を持たない環では、この含意が崩れます。 の中で は極大なのに、 から素にならない[1]。 を要求する立場をとる理由の一つ。
逆は成り立たない
素イデアルが極大とは限りません。 の零イデアル は素ですが、 に真に含まれるので極大ではない。
の も素です。割ると が残り、 は整域だが体ではありません。
素イデアルの鎖がどこまで長く伸びるかが、環の次元を測る。すべての素イデアルが極大になる環は 次元と呼ばれる[5]。
例: 一変数多項式環
体 上の では、極大イデアルは既約多項式が生成するイデアルです[3]。 が単項イデアル整域なので、イデアルは生成元一つで決まる。
が代数閉体なら、既約多項式は 次式だけ。極大イデアルは の形に限られます[1]。
では事情が変わる。 が既約なので も極大で、割った先は になる。
例: 多変数と弱形の零点定理
を代数閉体とすると、 の極大イデアルはすべて次の形をとります[1,5]。
これがヒルベルトの零点定理の弱形です。極大イデアルと の点が一対一に対応する。
イデアルで割ると そのものが残る。「点を代入する」という操作と「極大イデアルで割る」という操作が、同じものの裏表になっています。
代数閉体でないと崩れる。 の に対応する実数の点はありません。
例: 連続関数の環
実数上の連続関数全体 を考える。点 での値をとる写像 は環準同型で、その核は極大イデアル[2]。
核は を満たす関数全体です。割った先は そのもので、体になる。
コンパクトな空間の上では、極大イデアルはすべてこの形をとる。空間の点と極大イデアルが一致するので、環から空間を復元できる。
例: 整数係数の多項式環
の極大イデアルは、素数 と、 を法として既約な多項式 を使って と書けます[1]。
生成元が つ要る。 は単項イデアル整域ではないため。
たとえば が極大で、割ると 元体になる。 だけでは極大でなく、割った先は という整域です。
クルルの定理
でない単位元つきの環には、極大イデアルが少なくとも一つあります[1,4,5]。さらに強く、どんな真のイデアルも極大イデアルに含まれる[3]。
証明はツォルンの補題です。真のイデアル全体を包含関係で順序づけ、鎖の上界として和集合をとる。
和集合が真のイデアルであることは が効く。どの鎖の元も を含まないので、和集合も を含まず、全体に一致しない。
単位元のない環では成り立ちません。極大イデアルを一つも持たない環が実在する[1]。
局所環
極大イデアルがちょうど一つしかない環を局所環と呼びます[1,2,3]。唯一の極大イデアルが、単元でない元を全部集めたものになる。
進整数環や、体上の形式的冪級数環 が代表例です[3]。 では定数項が でない冪級数が単元で、残りが唯一の極大イデアル をなす。
素イデアルによる局所化は、極大イデアルを一つに絞る操作です。 の極大イデアルは ただ一つに縮む。
ジャコブソン根基
すべての極大イデアルの共通部分をジャコブソン根基と呼びます[1]。局所環では、それが唯一の極大イデアルそのもの。
が根基に入ることと、どの についても が単元であることは同値です。中山の補題がこの性質の上に立つ。
の根基は です。素数は無限にあり、すべての の共通部分は に潰れる。
互いに素なイデアル
となる つのイデアルを互いに素と呼ぶ。異なる極大イデアルは必ず互いに素になる。
は を真に含むイデアルなので、極大性から に一致する。ここから中国剰余定理が使える形が整います。
で 、 とすれば、 が つの体の積に分かれる。










