七年戦争(フレンチ・インディアン戦争、1755-1763)は、アメリカ植民地をめぐってイギリスとフランスが起こした戦争。当時、北アメリカ大陸の東部はイギリスとフランスが支配していた。戦いには各国にインディアン部隊が参加したため、イギリスでは「フレンチ・インディアン戦争」という。
当初イギリスは負けが続いていたが、ウィリアム・ピットがイギリス首相になり、植民地に大軍をおいたことでモンカルムの率いるフランス軍は敗北した。
この戦争で勝利したイギリスは、カナダのミシシッピ川以東を獲得した。
モンカルム
砂糖法と印紙法
イギリスは植民地(アメリカ)を厳格に統制し、植民地の住民に重税を課すようになった。
時期 | 制定 |
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1764 | 砂糖法 |
1765 | 印紙法 |
1767 | タウンゼント諸法 |
1770 | ボストン虐殺事件 |
1773 | ボストン茶会事件 |
1774 | 第一回大陸会議(フィラデルフィア) |
輸入品の砂糖に課税するという砂糖税、法的な書面、新聞やパンフレットに印紙貼付を求める印紙法、ガラスや茶などを課税としたタウンゼント諸法など、本国は植民地支配によって利益を吸いあげるための政策を行った。
砂糖税や印紙税などは住民の強い反発をまねき、アメリカ植民地とイギリス本国の亀裂を生むきっかけになり、これとボストン茶会事件がアメリカ独立戦争につながった。
ボストン茶会事件
1773年、イギリス本国は「イギリス東インド会社に限り、イギリスからアメリカに輸出する茶の税を免除する」という茶法を定めた。つまりイギリス東インド会社の利益独占を保護したといえよう。ボストン市民はこれに激怒し、ボストン港に停まっていたイギリス東インド会社の船に侵入し、船に積まれていた茶箱342箱を海に捨てた。これをボストン茶会事件という。
ボストン茶会事件後、マサチューセッツの自治は本国に制限された。これをきっかけに1775年、本国とボストンの間で最初の武力衝突が起きた(レキシントン・コンコードの戦い)。