孫子は世界最古の戦争論です。中国の春秋時代に書かれた書物で、日本では中世に普及し、世界でも多くの政治家に読まれました。
中央公論新社の町田三郎訳「孫子」などから原文の書き下し文を引用しつつ、独自の解釈も交えて孫子を解説します。書き下し文は現代語に合わせるために、引用文献と変えている単語があります(「故に」を「ゆえに」にするなど)。
最初に名言のまとめ
原文や書き下し文だとわかりにくくなってしまうため、私の独自解釈で孫子の名言を整理します。
- 敵をだまして勝つ
- スピードこそ重要
- 守りは攻めよりも強い
- 攻めるときは敵の2倍の戦力で
- 勝利は敵の油断にしかない
- 攻撃は集中せよ
- 形のない攻めで勝つ
タイトルでも強調しましたが、孫子のポイントは
- (まず身を固めてから)敵の弱くなったところや油断をつく
- 集中攻撃する
の2つではないでしょうか。孫子はいくつかの章からなり、それぞれポイントをあげていますが、とりあえず孫子で記憶するべきポイントといったら「油断をつく」「集中攻撃」と私は考えています。
7つの基準
主、いずれか有道なる、将、いずれか有能なる、天地、いずれか得たる、法令、いずれか行わる、兵衆、いずれか強き、士卒、いずれか練(なら)いたる、賞罰、いずれか明らかなる…
孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011、p4)
主は国を治める君主、将は軍を率いて戦争をする将軍、兵衆は軍隊、士卒は兵士のこと。孫子では戦争を行う二国間を次の7点から分析しています。
- どちらの君主が道をわかっているか
- どちらの将軍が有能か
- 運はどちらに味方しているか
- 法律などの決め事はどちらがきちんと行っているか
- どちらの軍隊が強いか
- どちらの兵士が鍛えられているか
- どちらの国の賞罰が適正か
後に出てくるように、孫子は「戦争が始まる前にその勝敗が決まる」と言っており、上の7つは戦争が実際に起きる前に判断されるべきだとしています。
敵の意表をつくことが戦争の基本である
兵とは詭道なり。ゆえに、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くもこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを擾(みだ)し、卑にしてこれを驕(おご)らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親にしてこれを離(わか)つ。
孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011、p7)
スパイについて論じるほど、孫氏は実践的な書物です。孫子は戦争を「だましあい」だと説き、常に反対のほうに動くことをすすめています。
- 力があってもないふりをする
- 軍隊を動かしても、動かしていないようにみせる
- 近くにいるときは、遠くにいるようにみせる
- 遠くにいるときは、近くにいるようにみせる
- 利益に貪欲な相手は、誘ってみせる
- 混乱している相手は、奪う
- 備えている相手には、こちらも備える
- 強い相手は避ける
- 怒っている相手は罠にはめる
- 卑屈な相手は傲慢にさせる
- 怠け者は疲労させる
- 団結している相手は分断させる
孫子という戦争論が経営者などに読まれているのも、こうした表現が実利に結びつきやすいからでしょう。特に
利益ばかりを追求している相手は、誘ってはめる
強い相手は避ける
団結している相手は分断させる
という文は単純でありながらも、普遍的な価値をただよわせます。
スピードが命
ゆえに兵には拙速を聞くも、いまだ巧久をみざるなり
孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011、p11)
戦争は「うまくなくて早い」という話はあるが、「うまくて遅い」という話はない。つまり戦争は早ければ早いほどいい。しかけるときは、一気にいかなければいけない。続く文でも、長期戦がいかに国をダメにするかが説かれています。
ビジネスでも、完璧主義はスピードで負けるために不利だとする話があります。このあたりはバランスですが、ほどほどの加減でスピードをつけるほうにこしたことはありません。
攻めるときは敵の倍のエネルギーが必要
ゆえに用兵の法は、十なればすなわちこれを囲み、五なればすなわちこれを攻め、倍なればすなわちこれを分かち、敵すればすなわちこれと戦い、少なければすなわちこれを逃れ、若(し)かざればすなわちこれを避く。
孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011、p18)
孫子で最も有名な文の一つでしょう。孫子は城攻めを良くない戦法と説き、城攻めするときは敵の十倍以上の戦力が必要になるといいます。
- 敵より少ないときは逃げる
- 敵と同じくらいのときは戦い
- 敵の倍あるときは敵を分断する
- 敵の五倍あるときは攻撃する
- 敵の十倍あるときは包囲する
勝利は敵の油断にしかない
孫子曰く、昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。
孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011、p23)
書き下し文は大学受験で出てきそうな文です。戦争をするときは、どのような敵も撃退できるような守備を整えたうえで、敵が油断して弱くなるのを待つ。だから勝つときというのは、自分にあるのではない。敵にしかないのだ。と孫子は言います。
この文がどれだけ単純で、どれだけ深いかわかると思います。倒されるときは自分のせい、しかし勝つときは自分のせいではなく、相手がダメだったせい。
つまり勝負事に勝つためには、相手が弱くなっているかどうかをきちんと判断する力が必要になるわけです。そうでなければ常に相手の不運任せになり、結局は運に任せるだけになってしまいます。運を味方につけるということは、相手の運を分析するという自分の能力につながっているといえます。
守りは正攻法、攻めは非正攻法
凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。
孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011、p30)
正攻法で攻めるのではない。正攻法で守り、変わった方法で攻めるのだ。と孫子はいいます。これは前述の「兵とは詭道なり」でも出てきた考えです。
戦争のやり方には正と奇の2つしかないが、その組みあわせは無限大である。こうして戦争そのものは無数のパターンがある。それは季節や色が、要素それ自体はいくつかのパターンしかないのに、その組みあわせで全体のパターンが無限にあるのと同じ。
例えば季節は
- 晴れ
- 雨
- 厚い
- 寒い
の組みあわせで無限のパターンがあるわけですね。しかし構成する要素はわずかしかない。戦争のパターンも構成する要素は正と奇しかない。奇とは、敵をだます方法のことです。
戦いに勝つためには、自分の弱いところを改善するのはもちろんのこと、敵を分析してこうすれば敵はこう転ぶだろうという確信が必要で、実際にだますところまでもっていかないといけません。
必勝法とは、集中攻撃にあり
故に人に形せしめて我に形なければ、則ち我は専(あつ)まりて敵は分かる。我は専まりて一と為り、敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。
孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011、p39)
ナポレオンもとった戦術「集中攻撃」です。戦力が同じ数だったら、分散しているよりも集中しているほうがいい。
10と10という戦力で戦い、一方は10でまとまって動き、もう一方は1ずつ分散して動いているとする。このとき10で固まっているほうは、敵の1を順番に倒していくことができます。
倍あったら分断せよというルールにあるように、軍隊に分散は大敵のようです。攻める側は、相手を混乱させるなどして敵を分断するほうにもっていく必要があります。
攻めには形がない。水の流れのように常に変わる
夫れ兵の形は水に象(かた)どる。水の行(めぐ)るは高きを避けて下(ひく)きに趨(おもむ)く。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。
孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011、p43)
孫子は水と兵を同じものと考えています。水も石ころにぶつかると、その石の形に合わせて流れを変えます。こうして水はいつも同じ流れをとらないわけです。
同じように攻める側も、地勢や敵の配置などに合わせて変幻自在に形を変えなければいけません。
少し飛躍になりますが、孫子は「負けはいくつかパターンがあるが、勝ちはパターンがない」と言いたいのかもしれません。こうすれば負けるというのはたくさんあります。君主が将軍に戦術について口をはさむような国はダメ、と孫子にも書かれています。しかし勝ちというのは、決まったパターンがあまりない。それは指揮官が状況に応じて軍隊と指揮を調節しているからです。
参考文献
- 孫氏(町田三郎訳、中央公論新社、2011)
- 孫子を読む(浅野裕一、講談社、1993)