シーア派神学者ホメイニーが主導した革命により、イランが現代初のシーア派神権国家となる。
イスラム教は7世紀に預言者ムハンマドによって創始された一神教ですが、彼の死後に後継者問題をめぐって分裂し、現在も続く二大宗派であるスンニ派とシーア派が生まれました。
分裂の歴史的経緯
預言者ムハンマドが632年に死去した際、イスラム共同体(ウンマ)の指導者である「カリフ」を誰にするかで意見が分かれました。
ムハンマドの死去(632年)
後継者問題の発生
アブー・バクルがカリフに選出
アリー支持派の不満と対立
スンニ派は初代カリフのアブー・バクル、2代目のウマル、3代目のウスマーンを正統な後継者として認めますが、シーア派はムハンマドの従弟で娘婿のアリーこそが正当な後継者だったと主張します。
この対立は単なる政治的権力争いではなく、イスラム共同体における正統性の根拠に関する根本的な神学的相違でもありました。
宗教的権威の継承における血縁関係と共同体の合意のどちらを重視するかという問題。
教義と実践の違い
両派の違いは後継者問題だけでなく、宗教的権威や教義解釈にも及んでいます。
共同体の合意(イジュマー)を重視し、4つの正統カリフ制度を支持。宗教的権威は学者(ウラマー)が担う。
アリーの血筋を引くイマーム(指導者)による宗教的指導を重視。12イマーム派では隠れイマームの再臨を信じる。
スンニ派は「スンナ(慣行)の民」という意味で、預言者ムハンマドの言行録(ハディース)とクルアーンに基づいて宗教実践を行います。一方、シーア派は「アリーの党派」を意味し、イマームによる宗教的解釈を重視します。
現代の分布と影響
現在、世界のムスリム人口約18億人のうち、スンニ派が85-90%、シーア派が10-15%を占めています。
サウジアラビア、エジプト、トルコ、インドネシア、パキスタンなど大部分のイスラム諸国で多数派。保守的なワッハーブ派から穏健派まで幅広い流派が存在。
イラン、イラク、バーレーンで多数派。レバノン、イエメン、シリアでも大きな影響力を持つ。イランの12イマーム派が最大勢力。
イスマーイール派、ザイド派、アラウィー派などの分派も存在し、それぞれ独自の教義と実践を維持している。
現代政治への影響
宗派の違いは現代中東政治にも大きな影響を与えており、地政学的な対立の要因となっています。
サダム・フセイン政権崩壊後、イラクでシーア派が政治的主導権を握り、地域のバランスが変化。
シリア内戦、イエメン内戦などで宗派対立が激化。サウジアラビア(スンニ派)とイラン(シーア派)の代理戦争的側面も。
特にサウジアラビアとイランの対立は、単なる地政学的競争を超えて宗派的な色彩を帯びており、レバノン、シリア、イエメンなどの地域紛争に影響を与えています。中東研究所の分析によると、この対立は宗教的教義よりも政治的影響力をめぐる競争という側面が強いとされています。