香港がかつてイギリスの植民地だったことはよく知られている。イギリスと中国はとても離れているが、どうして香港だけがイギリスに割譲されてしまったのだろうか。今回はアヘン戦争とアロー戦争についておおまかにみていく。
アヘン戦争(1840〜1842)
アヘン戦争は、イギリスが清(当時の中国)に勝利し、香港を割譲させた戦争である。アヘン戦争の原因をざっくり言うと次のようになる。
イギリス…インド産アヘンを中国に売りつけたい
清…アヘンはもう買いたくない
当時のイギリスはイギリス、インド、清の三国で閉じられた貿易(三角貿易)により利益を得ていた。この貿易が続いたことで中国は赤字になり、国内から銀が流出して財政難となっていた。
清は国内の困窮化を止めるため、アヘンを没収するなどの厳禁政策をとった。イギリスはこれに対応するため南京を攻撃し、アヘン戦争が起きた。
アヘン戦争の結果、1842年に南京条約が締結された。清は5つの港を開港し、香港を割譲することになった。この不平等条約をきっかけに清は弱体化し、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアは中国分割を進めていくことになる。
アロー戦争(1856〜1860)
アヘン戦争後もなお、イギリスは対中国への輸出に苦心していた。イギリスとフランスは有利な貿易をさらに拡大するために、アロー号事件をきっかけに戦争を始めた。
1858年に天津条約が締結されたが、清は使節を包囲して戦争を実行したため、戦争は結局1860年まで続いた。通常アロー戦争といえば天津条約後の戦争もまとめて指す。
1860年の北京条約によりイギリスは天津を開港させ、九龍半島を割譲させた。
アヘン戦争とアロー戦争の違いのまとめ
戦争 | 条約 | イギリスの得た場所 |
---|---|---|
アヘン戦争 | 南京条約 | 香港 |
アロー戦争 | 北京条約 | 九龍半島 |