すばらしい戯曲や小説を書いてもシェイクスピアやトルストイになれない…という歴史的解釈を大学の先生に教わったときから、私は「真に偉大な作品」の条件をずっと考えてきました。
日本の小説を考えたとき、多くの日本人がぱっと思いつく歴史的な作品は源氏物語やこころ(夏目漱石)あたりだと思います。漫画では鉄腕アトム、サザエさん、ドラえもん、ドラゴンボール、ワンピース。
私はクラシック音楽にくわしくないので、音楽について語る資格はゼロです。大きな流れはクラシックがあり、その上に各国でロックや歌謡曲が生まれ、電子音楽が出て、現在にいたる感じ…であっているかな。
開拓者としての偉大さと商業的成功としての偉大さ
芸術の偉大さや崇高さは
- フロンティア精神
- 商業的ヒット
に分けられます。
例えば紫式部、手塚治虫、バッハは開拓者として偉大です。市場そのもの、または大きなジャンルそのものを創りだした作家と作品は歴史に名を残します。
しかし、何百冊もサスペンス小説を書いて成功した作家もまた商業的成功をなした点で偉大です。
そして両方の偉大さをもった芸術家もいます。それはピカソとビートルズです。ピカソは抽象絵画を巨大市場にして、ビートルズはロックを主流にしました。
ここで「開拓者は本当に真の開拓者か?」と考えることは芸術家にとって重要になります。
開拓者と言われる人たちの悲しい事実
ピカソは抽象絵画の代表ですが、最初の開拓者ではありません。意見が分かれる点ですが、抽象絵画の始まりはカンディンスキーと言えるかもしれません。
漫画の始まりも厳密には手塚治虫が始まりでなく、例えば葛飾北斎は北斎漫画と言われる漫画に近い作品を残しています。
しかし抽象絵画はピカソ、漫画は手塚治虫、といった見方が多くの人(その道を専門としていない人)にいきわたっている。
そこでピカソやビートルズになりたい芸術家は次のように考えるといいかもしれません。
★生産/供給方法も需要もほとんど不明の市場で、芸術として認められる作品をきちんとつくる
手塚治虫の時代は今よりずっと道具や手段がなく、漫画やアニメの流通も確立してなかった。需要については私の妄想でしかないけど、当時の需要は今ほどはっきりしていなかったと思う。
手塚治虫の偉大さは漫画やアニメという概念を創造した点でなく、これらを文化の主流にした努力にあると私は考えています。
手塚治虫のようになりたい芸術家は、今はまだ見向きもされてないアイデアに注目し、それを基礎に作品をつくり、主流にする必要があります。
私の試み
私自身もいろいろと奮闘しています。そして無数の失敗を重ねてきました。ここでは私が試作中のものを一つだけ紹介します。
それは「ストーリーとしての小説でなく、あらすじやプロットとしての小説」を市場にすることです。
私は小説を最後まで読むことがほとんどありません。最後に読んだ小説は綾辻行人「Another」です。多くの場合、途中で疲れてしまう。実は映画もそう。最近は映画もドラマも見ない。いや、30分アニメさえきつくなってきた。
でも、あらすじだけを読む、というやり方はとりたくない…。
そこで私は思いついたのです。あらすじやプロットだけから構成される作品があったらいいな…と…。私を「知性が劣化した惰性な現代人」と罵ってくれてかまいません。
プロットは文字媒体として作品になりえないため、プラスアルファが必要になります。今、いろいろ実験しながら、あらすじやプロットを作品に昇華させる方法を探っています。