超コンパクトにまとめるとこんな感じ。ちょっと口が悪いですが、わかりやすくするためのユーモアと思ってください。
年 | 出来事 |
---|---|
962年 | 神聖ローマ帝国成立(オットー1世) |
11〜12世紀 | 教皇と対立激化 |
13世紀 | 大空位時代(帝国の実質的な分裂) |
15世紀〜 | ハプスブルク家による皇帝の世襲化 |
16世紀〜 | 宗教改革の影響で内部で対立 |
1618年 | 三十年戦争 |
1648年 | ヴェストファーレン条約 |
1806年 | ナポレオンにより滅ぼされる |
オットー1世
オットー1世が神聖ローマ帝国をつくりました。
とはいえ、神聖ローマ帝国という名前は後世の人間がつけたもの。当時はドイツの王国にすぎません。
11〜12世紀
当時はキリスト教世界で、ローマ教皇がえばっていました。
ローマ教皇「俺のほうが偉い!」
神聖ローマ帝国皇帝「はあ? 俺だって偉いもんね!」
こんな感じでいがみあっていたのがこの時代。
対立の根本には「叙任権」があります。

叙任権とは、司教などの高位聖職者を任命する権利です。
ローマ教皇は「俺が叙任権をもつべき!」といい、神聖ローマ帝国皇帝は「いやいや(笑)、叙任権は俺のもんよ!」といい……。
カノッサの屈辱やらなんやら、紆余曲折をへて、ローマ教皇が勝ちます。
ローマ教皇「ヨーロッパはキリスト教世界だぞ? 俺が一番偉いに決まってるだろ。叙任権も当然俺様のものだ」
こうしてヨーロッパは「政治」より「キリスト教」が強い世界になっていくのです。
大空位時代
神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世が1250年に死去しました。すると歴史あるある鉄板パターン「跡継ぎどうするの問題」が起きます。
後継者が定まらず、神聖ローマ帝国は皇帝がいない状態に突入。これを大空位時代といいます。
結果、
「皇帝がいないんじゃあ、俺のやりたいようにやらせてもらいます、はい」
などと出しゃばる諸侯(小さい地域の支配者)が続出……。
弱小諸侯、ハプスブルク家が気づいたらやばいことに
大空位時代、諸侯が好き勝手に偉ぶっていました。
ローマ教皇「まあなんだ、そろそろ王様でも決めたらどうかな。誰でもいいじゃん。どうせ形ばかりの国?だし」
ローマ教皇を含む、多くの者たちは都合のいい(言うこと聞いてくれそうな)諸侯を皇帝にしようと考えました。
そして選ばれたのが弱小諸侯ハプスブルク家のルドルフ1世。
だが、このルドルフ1世、人々の予想に反してとんでもない実力者であったのである!
なんとルドルフ1世は富を蓄え、あれよあれよととんでもない勢力にしてしまった。こうして大空位時代は終わり、ハプスブルク家というとんでもファミリーが誕生するのである。
宗教改革で内部対立激化、そして実質的な終焉へ…
ルターとカルヴァンによる宗教改革は神聖ローマ帝国領土内に
カトリック派の諸侯
プロテスタント派の諸侯
の対立を生みました。そもそも神聖ローマ帝国は諸侯の集合体みたいなもので、諸侯の権力はある程度ありました。
そして三十年戦争が勃発。神聖ローマ帝国はカトリック側。
三十年戦争はヴェストファーレン条約によって集結し、神聖ローマ帝国は実質オワコンに。諸侯の自立がかなり認められ、神聖ローマ帝国はいろいろある国の集まり、つまり形ばかりの国としてなんとなく存在する感じに。。。
ナポレオン、神聖ローマ帝国をぶっ壊す
三十年戦争でなんとな〜く存在していた神聖ローマ帝国。国、というよりは国の集まり、という感じでした。
しかしそれも長くは続きません。フランス革命の英雄ナポレオンがヨーロッパをあっという間に支配、神聖ローマ帝国はあっけなく終了。