高校倫理「荘子」の思想:万物斉同と真人

荘子(そうし)は老子の考えをさらに発展させた思想家です。「胡蝶の夢」という有名な言葉は荘子の寓話です。

ポイント 意味
万物斉同 万物は同じである
真人 「道」と一体になった究極の人

万物斉同は、善悪などの価値は人が作ったもので本来の自然にはなく、万物はひとしく同じようなものであるという考え。善悪や貴賎といった考えは相対的であり、こうしたものに執着しているかぎり苦しみは絶えないと荘子は説きます。

万物斉同説は荘子のさまざまな主張の根っこであり、入試でもよく問われる点です。

万物斉同の立場に立つと、こうしなければいけない、こうするべきだ、という一切の束縛から解放されます。この状態を逍遥游(しょうようゆう)といい、逍遥游に至った人を真人といいます。

「胡蝶の夢」は『荘子』にある一遍のこと。ある日、荘子は蝶(ちょうちょ)になっている夢を見ていた。目が覚めると自分がいた。そして思った。「今の自分は、夢にいた蝶の見ている夢ではないか?」

夢は現実にとっての夢かもしれないが、現実もまた夢にとっての夢なのかもしれない。荘子はそう考えながら、さらに「そんな区別はどうでもいい」と考えました。

自分と蝶、現実と夢の違いなどはささいなことであり、本質は絶えず変化してはっきりとした形もない。この考えは老子の道という概念をついでいるともいえるでしょう。

老子と荘子の思想は合わせて老荘思想といわれています。老荘思想はその後、呪術的ともいえるさまざまな信仰と影響しあいながら道教という信仰をつくっていきました。道教は中国で普及した三つの宗教(儒教・道教・仏教)の一つです。