メアリ1世(1516–1558)は、イングランドとアイルランドの女王であり、チューダー朝初の女王として単独で即位しました。父はヘンリ8世、母はカトリック信仰を貫いたアラゴンのキャサリンで、彼女自身も敬虔なカトリック教徒でした。異母弟エドワード6世の死後、王位継承の危機を乗り越えて1553年に即位します。
宗教政策と「血のメアリ」
メアリ1世の治世でもっとも有名なのは、徹底したカトリック信仰の復活です。父ヘンリ8世以来のイングランド国教会政策を覆し、ローマ教皇との関係を修復しました。しかしその過程でプロテスタントを弾圧し、著名な神学者クランマー大主教を含む約300人を火刑に処したため、「血のメアリ」という悪名で記憶されています。
ヘンリ8世とエドワード6世の下で進んだ宗教改革を取り消し、教皇権を回復した。
1555年以降、オックスフォード殉教者をはじめとする改革派を火刑に処し、恐怖政治の印象を残した。
スペインとの婚姻と外交政策
メアリ1世は、スペイン王子フェリペ(後のフェリペ2世)と結婚し、スペインとの同盟関係を強めました。これはカトリック勢力の結束を目的としたものでしたが、国内では不人気で、反乱(ワイアットの反乱)を招きました。また、対フランス戦争に参戦した結果、カレーを失い、イングランド最後の大陸領土を喪失することになります。
スペイン王フェリペとの結婚
イングランド国内の反発とワイアットの反乱
フランスとの戦争
カレー喪失
晩年と評価
メアリ1世は1558年に42歳で死去しました。子を残せず、後継には異母妹エリザベス1世が即位します。彼女の治世は短く、プロテスタント弾圧や外交失策のために「血のメアリ」という負の評価が強調されがちですが、一方で国家の財政再建や行政制度の整備を進めた点も見逃せません。
エリザベス1世の長期的な繁栄と対比されることで、その評価は厳しくなりがちですが、宗教的信念に基づいた強固な政策を打ち出した女王として、メアリ1世はイングランド史に大きな足跡を残しました。