ウィリアム・シェイクスピアが誕生。後にエリザベス朝演劇の頂点を極める。
エリザベス1世(1533-1603年)は、イングランド史上最も著名な君主の一人で、チューダー朝最後の女王として45年間という長期にわたって統治しました。彼女の治世は「エリザベス朝」と呼ばれ、イングランドの政治・経済・文化が大きく発展した黄金時代として位置づけられています。
即位までの波乱の生涯
エリザベスは国王ヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブーリンの娘として生まれましたが、母アンがヘンリー8世によって処刑されると、私生児扱いを受けて王位継承権から除外されました。
ヘンリー8世の死去(1547年)
異母弟エドワード6世の即位と短期間の統治
異母姉メアリー1世の即位とカトリック復活政策
エリザベス1世の即位(1558年、25歳)
宗教政策と国内統治
エリザベス1世の最大の課題は、先代メアリー1世のカトリック復活政策によって分裂した国内の宗教対立を収束させることでした。
彼女は宗教和解と呼ばれる穏健なプロテスタント政策を採用し、カトリック教徒への過度な弾圧を避けながら、イングランド国教会を確立しました。
異なる宗教間の妥協を図り、国内の安定を優先した政策。
カトリック復活を強行し、プロテスタント弾圧で「血なまぐさいメアリー」と呼ばれた
宗教的寛容を重視し、国内統合を優先してイングランド国教会を穏健に運営した
対外政策と海洋国家への転換
エリザベス1世の治世における最大の軍事的勝利は、1588年のスペイン無敵艦隊(アルマダ)の撃破でした。この勝利により、イングランドは海洋強国としての地位を確立しました。
世界一周を達成した海軍提督で、スペイン船への私掠行為を公認され、スペインの海上覇権に挑戦した。
新大陸探検を推進し、北アメリカのヴァージニア植民地建設を試みた探検家兼廷臣。
大陸での領土拡張から海洋貿易と植民地経営へと戦略を転換し、後の大英帝国の基礎を築いた。
文化的繁栄:シェイクスピア時代
エリザベス朝は文学・演劇・音楽が大きく発展した文化的黄金時代でもありました。
ロンドン初の恒久的な劇場が建設され、職業的演劇の基盤が確立される。
『ハムレット』『オセロ』『リア王』『マクベス』などの傑作が次々と生み出される。
シェイクスピア劇団の本拠地となる劇場が開場し、演劇文化が最盛期を迎える。
結婚問題と「処女女王」
エリザベス1世は生涯独身を貫き、「処女女王」(Virgin Queen)と呼ばれました。これは政治的戦略でもありました。
結婚は外交上の重要なカードであり、エリザベスは結婚の可能性をちらつかせることで各国との政治的駆け引きを有利に進めました。
結婚相手の選択が国の宗教政策や同盟関係を左右するため。
主要な結婚候補者には、スペインのフェリペ2世、フランスのアンジュー公、スウェーデンのエリック14世などがいましたが、最終的にはいずれとも結婚せず、王朝の継続よりも国家の独立性を選択しました。
経済発展と社会変化
エリザベス朝では商業と貿易が大きく発展し、中産階級の台頭が顕著になりました。
| 設立年 | 1600年 |
| 正式名称 | イースト・インド会社 |
| 目的 | アジア貿易の独占 |
| 影響 | 後の植民地帝国の基礎 |
| 資本 | 株式会社制度の先駆け |
| 特権 | 25年間の貿易独占権 |
| 地域 | インド・東南アジア・中国 |
東インド会社の設立により、イングランドはアジア貿易に本格的に参入し、オランダ・ポルトガルと競合するようになりました。これが後の大英帝国建設の出発点となったのです。
統治スタイルと政治手法
エリザベス1世は「国民に愛される君主」として振る舞い、巧みな演説と象徴的行動で国民の支持を獲得しました。
1588年、スペイン艦隊来襲時にティルベリーで行った演説では「私は女性の弱い体を持っているが、イングランドの王の心と胃袋を持っている」と述べ、国民の士気を大いに高めました。
議会との関係では、王権神授説を信じながらも、議会の権限を尊重し、重要な政策決定では議会の同意を求める姿勢を示しました。
エリザベス朝の終焉と歴史的意義
1603年にエリザベス1世が69歳で死去すると、チューダー朝は断絶し、スコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王位を継承してステュアート朝が始まりました。
エリザベス1世の45年間の統治は、イングランドを中世的な封建国家から近世の海洋国家へと転換させ、後の大英帝国の基盤を築いた重要な時代として歴史に刻まれています。宗教的寛容、海外貿易の拡大、文化的繁栄という三つの要素が結合することで、イングランドは初めてヨーロッパの主要国としての地位を確立したのです。