アンジュー帝国を確立し、法制度改革を推進。トマス・ベケット大司教との対立も発生。
プランタジネット朝は、1154年から1485年まで331年間にわたってイングランドを統治した王朝で、中世ヨーロッパで最も長期間続いた王朝の一つです。この王朝は、アンジュー伯アンリ2世(ヘンリー2世)がイングランド王位に就いたことから始まり、複数の分家を経て最終的にテューダー朝に取って代わられるまで続きました。
王朝の起源と名称
プランタジネット朝の名称は、初代国王ヘンリー2世の父ジョフロワ・ダンジューが帽子にエニシダの花を飾っていたことに由来します。
ラテン語でplanta genista(黄金のエニシダ)と呼ばれる植物。
ヘンリー2世は母マティルダを通じてイングランド王位継承権を持ち、父ジョフロワからアンジュー伯領を、妻エレアノール・ダキテーヌからアキテーヌ公領を継承しました。これにより、イングランドからピレネー山脈まで広がる「アンジュー帝国」を築き上げました。
イングランド、ノルマンディー、アンジュー、メーヌ、トゥーレーヌ、ポワトゥー、アキテーヌ、ガスコーニュを含む広大な領域で、当時のフランス王領よりも大きな勢力を誇っていました。
イングランド王でありながら、フランス王の封臣として大陸領土を保有するという複雑な政治構造を持っていました。この二重性が後の英仏間の長期的対立の原因となります。
主要な国王と政治的展開
プランタジネット朝は複数の分家に分かれて統治を続けました。主要な流れを時系列で整理すると以下のようになります。
「獅子心王」として第3回十字軍を指導。在位中の大部分を海外で過ごし、イングランドには計6か月しか滞在せず。
大陸領土の大部分をフランス王フィリップ2世に奪われ、1215年にマグナ・カルタ(大憲章)の承認を貴族に強制される。
シモン・ド・モンフォールの乱を経て、議会制度の基礎が形成される。
エドワード1世とエドワード3世の時代
「イングランドのユスティニアヌス」と呼ばれ、法制度を整備し、ウェールズとスコットランドに対する征服戦争を展開した
百年戦争を開始し、クレシーの戦い(1346年)とポワティエの戦い(1356年)で大勝利を収めた
エドワード3世の時代は軍事的栄光の絶頂期でしたが、同時に後の王朝内紛争の種も蒔かれました。彼の息子たちの系統争いが、後のばら戦争の原因となったのです。
ばら戦争と王朝の終焉
エドワード3世の複数の息子の系統対立
ランカスター家(赤ばら)とヨーク家(白ばら)の内戦
1455年から1485年まで30年間の断続的な戦争
ボズワースの戦いでリチャード3世が戦死し王朝終焉
ランカスター家は第4子ジョン・オブ・ゴーントの系統で、ヘンリー4世、5世、6世が王位に就きました。特にヘンリー5世はアジャンクールの戦い(1415年)で大勝利を収め、一時的にフランス王位継承権も獲得しました。
一方、ヨーク家は第5子エドマンド・オブ・ラングリーの系統で、エドワード4世とリチャード3世が王位に就きました。最終的に1485年のボズワースの戦いで、ランカスター系のヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)がリチャード3世を破り、テューダー朝が始まりました。
プランタジネット朝の歴史的意義
プランタジネット朝は中世イングランドの政治制度確立に決定的な役割を果たしました。マグナ・カルタに始まる立憲主義の萌芽、議会制度の発展、コモン・ローの確立など、後の英国政治の基盤となる多くの制度がこの時代に形成されました。
統治期間 | 1154年-1485年(331年間) |
主要分家 | アンジュー家、ランカスター家、ヨーク家 |
重要な制度 | マグナ・カルタ、議会制度、コモン・ロー |
主要な戦争 | 十字軍、百年戦争、ばら戦争 |
文化的影響 | 騎士道文化、ゴシック建築、英語の発達 |
また、プランタジネット朝時代にはジョフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』に代表される中世英文学が花開き、現代に続く英語文化の基礎が築かれました。軍事面では長弓の戦術的活用により、従来の重装騎兵中心の戦争から歩兵中心の戦争への転換点となったことも重要な特徴です。