東フランク王に選出され、ザクセン朝が成立。
ザクセン朝は、オットー朝とも呼ばれ、10世紀から11世紀にかけて神聖ローマ帝国の成立と発展に大きな役割を果たした王朝です。ザクセン公国を基盤とし、初代ハインリヒ1世から最後のハインリヒ2世まで続きました。
起源と成立
919年、ザクセン公ハインリヒ1世が東フランク王に選ばれたことでザクセン朝が始まりました。彼は「狩人王」として知られ、マジャル人やスラブ人への防衛体制を築き、後継者オットー1世の大帝としての活躍を可能にしました。
919
ハインリヒ1世即位
962
オットー1世皇帝戴冠
ローマ教皇から戴冠を受け、神聖ローマ帝国の起点とされる。
973
オットー2世即位
オットー1世の死後、その子オットー2世が皇帝となる。
996
オットー3世皇帝戴冠
古代ローマ復興の理想を掲げた若き皇帝。
1024
ハインリヒ2世死去
後継者を残さず没し、ザクセン朝は断絶。
オットー大帝の治世
オットー1世(在位936〜973)は、レヒフェルトの戦いでマジャル人を撃退し、西ヨーロッパに安定をもたらしました。962年にはローマで皇帝に戴冠し、神聖ローマ帝国の枠組みを確立しました。彼は教会と密接な関係を築き、帝国統治の支柱としました。
マジャル人を撃退する
王権を強化する
教会を支配基盤とする
ザクセン朝の終焉
オットー3世は理想主義的に古代ローマの復興を追求しましたが短命で終わり、後を継いだハインリヒ2世も後継者を残さず没しました。これにより1024年にザクセン朝は断絶し、帝位はフランケン朝に移りました。
歴史的意義
ザクセン朝は、神聖ローマ帝国の制度と皇帝権を確立し、中世ヨーロッパにおける「皇帝と教皇」の関係を方向づけました。彼らの統治は、後世にわたり帝国の在り方を規定する礎となりました。