神聖ローマ皇帝から正式に公爵の称号を受け、ミラノ公国が成立。
ミラノ公国は北イタリアに位置し、中世からルネサンス期にかけて繁栄した国家です。豊かなロンバルディア地方を基盤とし、アルプスを越える交易路を押さえることで、経済と軍事の両面で強大な力を持ちました。
成立と拡大
ミラノはもともと自由都市として発展しましたが、14世紀にヴィスコンティ家が支配権を確立し、1395年には正式に公国として認められました。その後、ヴィスコンティ家は北イタリア各地に領土を拡張し、都市国家の中でも突出した存在となりました。
ヴィスコンティ家断絶後、市民が一時的に共和国を樹立。
傭兵隊長フランチェスコ・スフォルツァが公国を掌握し、以後スフォルツァ家が支配。
ルネサンス文化の中心
スフォルツァ家の治世下で、ミラノは芸術と学問の中心地として大いに発展しました。特にレオナルド・ダ・ヴィンチが滞在し「最後の晩餐」などの傑作を残したことで知られます。また、経済的には絹織物や兵器産業が盛んで、ヨーロッパに大きな影響を与えました。
レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとする芸術家が宮廷に招かれ、芸術と学問が隆盛。
交易と工業で栄え、兵器や絹織物の中心地としてヨーロッパ経済に影響を与えた。
外国勢力との抗争
地理的にも富の面でも魅力的なミラノは、しばしば大国の標的となりました。15世紀末から16世紀にかけてイタリア戦争の舞台となり、フランス王国と神聖ローマ帝国の間で争奪戦が繰り広げられます。最終的にはハプスブルク家の支配下に入り、スペイン、のちにオーストリアの統治を受けました。
フランス王国の介入
神聖ローマ帝国との抗争
スペイン・オーストリア・ハプスブルク家の支配
消滅と統合
18世紀のスペイン継承戦争を経て、ミラノはオーストリア・ハプスブルク家の領土となりました。その後もナポレオン戦争をはじめとする度重なる戦乱で支配者が入れ替わり、最終的には19世紀のイタリア統一運動の中でイタリア王国に編入されました。