ロシアと同盟してオスマン帝国と交戦。軍事的な失敗により国力が疲弊し、改革への支持がさらに低下。
ヨーゼフ2世(1741-1790年)は、18世紀ハプスブルク君主国の皇帝として、啓蒙思想に基づく急進的な改革を断行した「啓蒙専制君主」の代表的人物です。
生い立ちと即位
ヨーゼフ2世は、神聖ローマ皇后マリア・テレジアの長男として生まれ、1765年に神聖ローマ皇帝となりましたが、実際の統治権は母の死後の1780年から握ることになりました。
彼は啓蒙専制主義の理念に深く影響を受け、「人民の幸福のための専制」を掲げて統治を行いました。
合理主義と理性に基づく統治により、上からの改革で社会を近代化しようとする政治思想。
主要な改革政策
ヨーゼフ2世の治世は、宗教寛容から社会制度改革まで、あらゆる分野で革新的な政策が実施されました。
プロテスタントと東方正教会の信仰を認め、ユダヤ人の市民権も部分的に認めた画期的な法令。カトリック教会の特権を制限し、修道院の多くを解散させた。
封建的な農奴制を廃止し、農民の移動の自由と土地所有の権利を拡大。貴族の特権に対する直接的な挑戦となった。
拷問の廃止、死刑の大幅な制限、法の前の平等の確立など、人道的な刑事司法制度への転換を図った。
ドイツ語を帝国共通語として統一し、中央集権的な官僚制度を整備。地方の自治権を制限して効率的な行政を目指した。
改革の背景と思想
ヨーゼフ2世の改革は、当時のヨーロッパを席巻していた啓蒙思想、特にヴォルテールやディドロらの影響を強く受けていました。
封建制度の弊害と非効率性への認識
啓蒙思想による合理主義的統治の追求
オーストリア帝国の近代化と競争力強化
「上からの革命」による社会変革の実現
フリードリヒ大王との交友関係も、彼の啓蒙専制主義的な政治観の形成に大きな影響を与えました。特に、宗教的寛容と国家理性に基づく統治の重要性を学んだとされています。
改革への抵抗と挫折
しかし、これらの急進的な改革は各方面から激しい抵抗を招きました。
カトリック教会、貴族階級、地方の伝統的支配層が改革に強く反発し、各地で反乱や暴動が発生した
改革の恩恵を受けるはずの農民層でさえ、急激な変化に戸惑い、伝統的な生活様式の破壊を恐れた
特に、ハンガリーやベルギー(当時のオーストリア領ネーデルラント)では大規模な反乱が発生し、1789年にはベルギー革命が勃発して一時的に独立を宣言するまでに至りました。
晩年と評価
ハンガリー、ベルギー、ボヘミアなど帝国各地で反乱が同時多発的に発生。改革政策の多くが事実上破綻。
49歳で死去。弟レオポルド2世が即位し、ヨーゼフ2世の改革の多くが撤回または大幅に修正された。