フランクフルト国民議会は、1848年から1849年にかけてドイツ連邦で開催された初めての全ドイツ的な国民議会です。三月革命の高まりを背景に誕生し、自由主義的な憲法制定と国家統一をめざす重要な試みでした。
成立の背景
1848年、ヨーロッパ各地で市民が自由と憲法を求める革命を起こしました。ドイツでも各邦で改革要求が強まり、その結果、フランクフルトのパウル教会に全国から選出された議員が集まりました。議員の多くは法学者や官僚、教授といったインテリ層であり、農民や労働者の代表は少数でした。
自由主義的な憲法の制定と、分裂したドイツを統一すること。
フランクフルトのパウル教会。市民にとって象徴的な自由の場となった。
議論と成果
議会では統一の方法をめぐり「大ドイツ主義(オーストリアを含む)」と「小ドイツ主義(プロイセン中心)」が対立しました。最終的に小ドイツ主義が優勢となり、1849年3月に憲法草案が採択されました。そこには近代的な権利保障が盛り込まれました。
国民の基本的人権を保障
議会制と責任内閣制を導入
小ドイツ主義に基づく統一国家構想
挫折の要因
完成した憲法に基づき、議会はプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世に皇帝位を提供しました。しかし、彼は「民衆から与えられる王冠」を拒否しました。さらに諸邦の君主たちも憲法を承認せず、最終的に議会は軍事力によって解散に追い込まれました。
議会主導の統一国家を築こうとしたが、軍事力を持たず現実的な支配力を欠いていた。
王権の制限を拒み、保守的秩序を守るために議会を弾圧した。
歴史的意義
フランクフルト国民議会は短命に終わったものの、近代的なドイツ憲法の原型を示した点で歴史的意義を持ちました。理想として掲げられた「自由と統一」はその後も生き続け、最終的には19世紀後半のプロイセン主導によるドイツ帝国成立へとつながっていきました。