普仏戦争(1870年から1871年)は、プロイセン王国を中心とする北ドイツ連邦とフランス第二帝政との間で行われた戦争です。この戦争は19世紀ヨーロッパの国際秩序を大きく変える契機となり、ドイツ統一とフランス帝政の崩壊をもたらしました。
背景
フランス皇帝ナポレオン3世は国内の求心力を高めるために対外戦争を望んでいました。一方、プロイセン首相ビスマルクは南ドイツ諸国を自国の勢力圏に組み込み、統一を果たすためにフランスとの戦争を誘発しようとしました。その直接的なきっかけとなったのが「エムス電報事件」であり、これはスペイン王位継承問題を巡る外交的やり取りをビスマルクが改変し、フランスを挑発したものです。
戦争の経過
開戦直後はフランス軍が優勢と考えられていましたが、プロイセン軍は鉄道や電信を駆使した動員と作戦行動によって短期間で戦況を逆転しました。決定的だったのは1870年9月のセダンの戦いで、ナポレオン3世自身が捕虜となりフランス軍は壊滅的打撃を受けました。
プロイセン軍の近代的な動員体制
フランス軍の敗北
その後、パリは包囲され、国内では第三共和政が成立し、戦争は継続しました。しかし1871年1月にパリが降伏し、フランスは敗北を認めました。
結果と影響
講和条約であるフランクフルト条約により、フランスはアルザス・ロレーヌ地方をドイツに割譲し、50億フランの賠償金を支払うことになりました。これによって1871年1月、ヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立が宣言され、プロイセン王ヴィルヘルム1世がドイツ皇帝に即位しました。
領土を失い、国民の屈辱感が高まり、後の対独復讐主義(レヴァンシュ主義)につながった
統一を果たし、ヨーロッパの新たな大国として台頭した
この戦争はヨーロッパの勢力均衡を大きく変化させ、20世紀に至るまで続くフランスとドイツの対立の出発点となりました。