フランクフルト講和条約によりドイツ領となる。
アルザス・ロレーヌ地方は、ライン川西岸に位置する戦略的要地であり、豊かな工業資源を有するため、19世紀から20世紀にかけてフランスとドイツの間で繰り返し争奪の対象となりました。その歴史は両国の対立と和解の象徴としても理解されています。
普仏戦争とドイツ帝国への編入
1870年から1871年にかけての普仏戦争でフランスが敗北すると、フランクフルト講和条約によりアルザスとロレーヌの一部は新たに成立したドイツ帝国に割譲されました。この出来事はフランスにとって国辱とされ、フランス国内では「失地回復」が国家的目標となります。
普仏戦争でのフランス敗北
1871年 フランクフルト講和条約でドイツがアルザス・ロレーヌを併合
第一次世界大戦とフランスへの復帰
1914年に始まった第一次世界大戦では、この地域は独仏両軍の激戦地となりました。1918年にドイツが敗戦すると、ヴェルサイユ条約によりアルザス・ロレーヌはフランスに返還されます。この時期、フランスはドイツ語を排除し、フランス語教育や行政制度を強化しました。
第一次世界大戦でドイツ敗北。ヴェルサイユ条約で返還。
第二次世界大戦での再びの占領
1940年、ナチス・ドイツはフランスを占領し、アルザス・ロレーヌを事実上ドイツ領として編入しました。この時期にはドイツ化政策が徹底され、住民は徴兵されて東部戦線に送られるなど過酷な状況に置かれました。1945年に連合軍が解放すると再びフランス領に復帰し、その後は国境の変更は行われていません。
欧州統合の中での和解
戦後、この地域をめぐる対立は欧州統合の象徴的な克服対象となりました。アルザス地方のストラスブールには欧州議会が置かれ、かつて戦火に翻弄された地が欧州協力の中心拠点となっています。
アルザス・ロレーヌは独仏対立の象徴であり、両国の国民感情を大きく揺さぶった。
今日では欧州統合の象徴として、独仏協力の中心的役割を果たしている。
アルザス・ロレーヌをめぐる歴史は、国境線の変動に苦しんだ地域が、最終的には欧州統合の拠点となるまでの長い道のりを示しています。過去の対立の記憶と、現在の協力の象徴が同居する特別な土地といえます。