フェルディナント1世(1503年〜1564年)は、ハプスブルク家の一員であり、神聖ローマ皇帝として中欧の政治に大きな影響を与えた人物です。彼はカール5世の弟であり、兄からオーストリア領やボヘミア・ハンガリー王国を継承しました。
即位と統治の背景
1519年に兄カール5世が皇帝に選ばれると、フェルディナントは代わりにオーストリア領を与えられました。その後、ボヘミア王やハンガリー王を兼ね、東欧の防衛と統治にあたりました。1526年のモハーチの戦いでラヨシュ2世が戦死したことにより、彼はボヘミアとハンガリー王位を継承する立場となりました。
モハーチの戦いでラヨシュ2世が戦死
フェルディナント1世がボヘミア・ハンガリー王位を継承
神聖ローマ皇帝としての役割
1556年、兄カール5世が退位すると、フェルディナントは神聖ローマ皇帝に即位しました。彼は帝国の統治を重視し、特に宗教改革で分裂するドイツ国内の安定を図りました。
アウクスブルクの和議(1555年)
ルター派とカトリックの対立を調停するために結ばれた和議で、「領主の宗教がその地の宗教となる」という原則を定め、帝国内の宗教的平和を実現した。
対オスマン帝国
ハンガリー方面ではオスマン帝国の圧力が続き、フェルディナントは幾度も戦ったが、最終的には一部の領土を失った。
政治的意義と評価
フェルディナント1世の統治は、兄カール5世のような広大な帝国支配ではなく、より中欧に集中した現実的なものでした。彼はオーストリアを中心としたハプスブルク家の基盤を固め、その後のハプスブルク帝国の発展に大きな影響を与えました。また宗教対立を和解へ導いた点でも、調停型の政治家として評価されています。