チャールズ1世(1600年 - 1649年)は、イングランド・スコットランド・アイルランドの王であり、ステュアート朝の重要な人物です。彼の治世は「王権と議会の対立」というイギリス史の大きな転換点にあたりました。
幼少期から病弱で寡黙でしたが、芸術と宗教に強い関心を持ち、王位に就いた1625年からは「王権神授説」を信じて議会と対立しました。課税権や宗教政策をめぐり衝突が続き、1629年から11年間は議会を召集せず専制的に統治しました。これを「専制の11年間」と呼びます。
議会の同意なしに課税
国民の反発と議会の抵抗
清教徒革命(ピューリタン革命)の勃発
1640年代にはスコットランドとの戦争や国内不満の高まりで再び議会を召集せざるを得なくなり、「長期議会」が始まりました。最終的には1642年に王党派と議会派の内戦(イギリス内戦)が勃発します。
王党派(国王側)
国王の権威と国教会を守ろうとした。貴族や伝統的地主層が支持。
議会派(反国王側)
課税の同意権や信仰の自由を求めた。商工業者やピューリタンが多く支持。
戦いは議会派が勝利し、チャールズ1世は捕らえられました。1649年、彼は「国家への反逆者」として公開裁判を受け、処刑されました。これはヨーロッパの歴史上、現職の王が合法的に裁かれて処刑された極めて衝撃的な事件でした。
チャールズ1世の死後、イングランドは共和政となり、オリバー・クロムウェルの指導下で「イングランド共和国(コモンウェルス)」が成立しました。彼の治世と最期は、イギリスの立憲主義の発展に大きな影響を与えたと評価されています。