山海関の戦いは、1644年に明末清初の大きな転換点となった戦いで、万里の長城の東端にある要衝「山海関」で起こりました。この戦いは、明朝の滅亡と清朝の成立を決定づける出来事として知られています。
1644年、李自成が率いる農民反乱軍が北京を陥落させ、明の最後の皇帝・崇禎帝が自害しました。明の将軍であった呉三桂は当初、李自成と戦う姿勢を示していましたが、家族や領地が脅かされると清の摂政王ドルゴンに援軍を求めます。こうして歴史の流れが大きく変わることになります。
呉三桂が清軍を山海関内に引き入れる
李自成軍と清軍が激突
李自成軍が敗北して潰走
清軍が北京に進駐
戦いの結果、李自成が建てた新政権「順」は崩壊し、清軍は北京に進駐して中国支配の基盤を固めました。山海関の戦いは、明から清への王朝交代を決定づけた象徴的な戦いといえます。
呉三桂
明の武将でありながら、家族と自身の権力を守るため清に通じ、山海関を開いた。
ドルゴン
清の摂政王。呉三桂の要請を受けて山海関に軍を進め、中国支配を大きく進展させた。
李自成
農民反乱軍の指導者。北京を占領して新王朝「順」を建てたが、山海関の戦いで敗れて勢力を失った。
山海関の戦いは、中国史における「関を制する者が天下を制する」という言葉を象徴する出来事でした。