和珅(わしん、1750年 - 1799年)は、清王朝の乾隆帝から嘉慶帝の初期にかけて仕えた重臣であり、清代を代表する権臣のひとりです。満州の正紅旗出身で、若くして乾隆帝の寵愛を受け、約20年以上にわたり朝廷の実権を掌握しました。
権力の集中と役職
和珅は乾隆帝の厚い信任を背景に、軍機大臣や戸部尚書(財政担当)などの要職を兼ね、事実上宰相のような立場にありました。とりわけ財政と人事に深く関与し、清朝の政治の中心を担いました。
軍機大臣として政策決定に参与
戸部尚書として財政を統括
多数の官職を兼任し権力を集中
巨額の富と汚職の象徴
和珅は賄賂や汚職を通じて莫大な財産を蓄え、その富は国庫を凌ぐほどだったと伝えられています。彼の失脚時に没収された財産は国家財政を潤し、「和珅跌倒、嘉慶吃飽(和珅が倒れたから嘉慶帝の財政は満たされた)」という言葉が残るほどです。
失脚と最期
1799年、乾隆帝が崩御すると嘉慶帝は和珅を失脚させ、専横と蓄財を糾弾しました。最終的に和珅は自害を命じられ、その栄華の生涯を閉じました。
歴史的評価
和珅は政治的手腕により清朝の財政を一時的に安定させたとも評価されますが、その一方で巨額の私財蓄積や腐敗の象徴として強く批判されています。後世の文学やドラマでもしばしば登場し、「権臣の典型」として記憶されています。