メルエンプタハ王の碑文に「海から来た民」への言及が初登場。リビア人と連合してエジプト侵攻を試みる。
「海の民」は紀元前13世紀から12世紀頃(後期青銅器時代末期)に東地中海世界を襲った謎の民族集団の総称です。古代エジプトの碑文に記録されているため、この名前で呼ばれています。
歴史的な記録と時期
「海の民」に関する最も重要な史料は、エジプト第19王朝のメルエンプタハ王(在位:紀元前1213-1203年)と第20王朝のラムセス3世(在位:紀元前1186-1155年)の碑文です。特にラムセス3世時代のメディネト・ハブ神殿の碑文には、彼らとの戦いが詳細に記されています。
ラムセス3世の治世中、海の民が大規模な侵攻を行う。陸路と海路の両方から攻撃し、エジプト軍と激戦を展開。
地中海東部の多くの都市や文明が破壊・衰退。青銅器時代の終焉とともに海の民の活動も終息。
構成集団
エジプトの碑文によると、「海の民」は単一の民族ではなく、複数の集団から構成されていました。
破壊の痕跡と影響
考古学的証拠は、紀元前1200年頃に東地中海世界で広範囲な破壊が発生したことを示しています。
ウガリット王国の突然の滅亡
ハットゥシャ(ヒッタイト帝国首都)の破壊
キプロスやクレタ島の都市の焼失
ミケーネ文明の宮殿群の破壊
これらの破壊は従来の説では「海の民の侵攻」によるものとされてきましたが、近年の研究では気候変動、内部紛争、経済システムの崩壊など複合的要因による「システム崩壊」として理解されることが多くなっています。
起源に関する諸説
「海の民」の正確な起源については、史料が断片的で考古学的証拠も限定的なため、現在でも活発な議論が続いています。
ミケーネ文明の崩壊によって故郷を失ったギリシア系民族が海の民となったとする説。言語学的・考古学的類似点が根拠とされる。
ヒッタイト帝国の衰退に伴い、小アジア西部の民族が移動を開始したとする説。地理的位置関係から有力視される。
単一起源ではなく、地中海各地の様々な民族が気候変動や政治的混乱によって同時期に移動したとする説。現在の主流的見解。
現代研究の動向
近年の研究では、「海の民」を単純な「侵略者」として捉えるのではなく、より複雑な歴史的現象として理解する傾向が強まっています。
考古学者エリック・クラインは著書『1177 B.C.: The Year Civilization Collapsed』で、海の民の活動をシステム崩壊の一部として位置づけ、単一の原因による文明破壊ではなく、複数の要因が相互作用した結果として説明しています。
気候変動、地震、内部紛争、経済破綻などが連鎖的に作用した複合災害としての理解。
「海の民」は古代史上最大の謎の一つとして、現在でも新たな考古学的発見や研究手法の発展によって解明が進められている重要なテーマです。彼らの活動は単なる軍事的侵攻ではなく、後期青銅器時代から鉄器時代への移行期における地中海世界の大変動を象徴する現象として理解されています。