後のネロ帝となる息子ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスを出産。夫は名門出身だが権力は限定的。
小アグリッピナは、ローマ帝国史上最も権力欲が強く、政治的影響力を持った女性の一人として知られています。彼女は息子ネロを皇帝にするために数々の策略を巡らせ、最終的には息子によって殺害されるという悲劇的な運命を辿りました。
生い立ちと血統
小アグリッピナ(本名:ユリア・アグリッピナ)は紀元15年に生まれ、ローマの名門ユリウス・クラウディウス朝の血を引く高貴な出自でした。
| 父親 | ゲルマニクス(初代皇帝アウグストゥスの養子) |
| 母親 | 大アグリッピナ(アウグストゥスの孫娘) |
| 祖父 | アウグストゥス帝(初代ローマ皇帝) |
| 兄弟 | カリグラ帝(第3代皇帝) |
| 血統的地位 | 皇室の中核メンバー |
彼女の父ゲルマニクスは軍事的才能に恵まれた人物でしたが、紀元19年に謎の死を遂げました。この死には毒殺説もあり、アグリッピナの政治不信の原点となったとも考えられています。
三度の結婚と政治的野心
アグリッピナは政治的地位向上のため、戦略的な結婚を三度行いました。
短期間の結婚。政治的利益を求めたが、期待した効果は得られず。
叔父との結婚により、ついに皇室の中心に返り咲く。この結婚がネロの皇帝への道を開く。
特に三度目のクラウディウス帝との結婚は、ローマの近親婚禁止法に抵触する可能性があったため、法改正まで行われました。
クラウディウスとアグリッピナの結婚は叔父と姪の結婚であり、従来のローマ法では禁じられていましたが、元老院での議論を経て合法化されました。
血縁関係にある親族間の結婚で、政治的結合の意味合いが強い。
ネロの皇位継承への策謀
アグリッピナの最大の政治的目標は、息子ネロを皇帝にすることでした。この目的のため、彼女は巧妙な政治工作を展開しました。
クラウディウスの実子ブリタニクスより先にネロを養子にさせる
ネロとクラウディウスの娘オクタウィアとの結婚を実現
有力政治家や軍人との人脈構築
クラウディウス毒殺の実行(疑惑)
タキトゥスの『年代記』によると、アグリッピナは紀元54年にクラウディウスを毒殺したとされています。毒キノコを使った暗殺説が有力で、これによりネロが16歳で皇帝に即位することになりました。
皇帝ネロとの権力闘争
ネロが皇帝となった当初、アグリッピナは「皇帝の母」として強大な権力を握っていました。
コインに皇帝と並んで肖像が刻まれ、実質的な共同統治者として振る舞った。元老院での発言権も持ち、政治的決定に直接関与。
ネロの独立志向と対立し、徐々に宮廷から疎外される。息子による権力剥奪が進み、最終的には命の危険にさらされる。
特に、ネロが解放奴隷出身のアクテと恋愛関係になったことで、母子関係は決定的に悪化しました。アグリッピナは息子の恋愛を政治的な弱点と見なし、厳しく批判しました。
悲劇的な最期
アグリッピナとネロの対立は最終的に殺害という形で終結します。
船の底に仕掛けを施し、航海中に沈没させる計画。しかし、アグリッピナは泳いで岸に辿り着き、計画は失敗。
直接的な刺殺による暗殺。護衛兵によって実行され、アグリッピナは「お腹を刺しなさい、ネロを産んだこの腹を」という言葉を残して死亡したとされる。
母親殺しという行為により、ネロの政治的正統性は大きく損なわれ、後の政治的混乱の一因となった。
スエトニウスの『皇帝伝』には、アグリッピナが最期に発した「この腹を刺せ」という言葉が記録されており、息子への複雑な感情と、自らが皇帝を産み育てた誇りを表していると解釈されています。