連帯(ソリダリノシチ)が圧勝し、東欧初の非共産政権が誕生。ソ連は介入せず。
ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ(1931-2022)は、ソビエト連邦の政治家で、同国最後の最高指導者として歴史的な変革を導いた人物です。
主要な政策と改革
ゴルバチョフが推進した二大政策は、ソ連社会に根本的な変化をもたらしました。
ペレストロイカ(改革・再構築)の実施
グラスノスチ(開放性・透明性)の導入
民主化と市場経済への移行推進
最終的なソ連崩壊への道筋
ペレストロイカでは経済システムの抜本的見直しを図り、中央集権的な計画経済から市場メカニズムを取り入れた混合経済への転換を目指しました。一方、グラスノスチでは情報公開と言論の自由を拡大し、これまで秘匿されていた政府の政策や歴史的事実が明らかにされるようになりました。
しかし、これらの改革は急進的すぎる変化を社会にもたらし、経済混乱や政治的不安定を招く結果となりました。
伝統的な統制システムの急速な解体による混乱と制御不能状態。
冷戦終結への貢献
ゴルバチョフは外交政策においても画期的な転換を図り、「新思考外交」を展開しました。
イデオロギー対立を前面に出し、西側諸国との軍事的緊張関係を維持する姿勢
共通の人類的価値を重視し、軍備縮減と国際協調を通じた平和共存を追求
特に、レーガン米大統領との首脳会談を重ね、1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約締結、1989年のマルタ会談での冷戦終結宣言など、東西デタント(緊張緩和)を実現しました。
核兵器全廃に向けた野心的な提案を行うも、SDI(戦略防衛構想)問題で合意に至らず。しかし、核軍縮への道筋を示した。
ブッシュ(父)大統領と冷戦終結を正式に宣言。東欧民主化への不干渉方針を明確化。
1990年、東西ドイツ統一とNATO加盟を容認し、冷戦分断の象徴的解決を実現。
東欧革命と民主化の波
1989年から1990年にかけての東欧諸国での民主化革命に対し、ゴルバチョフは軍事介入を行わない「シナトラ・ドクトリン」を採用しました。
11月9日、東ドイツ市民がベルリンの壁を破壊。ゴルバチョフは東ドイツ政府に武力行使を禁じた。
ハンガリー、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニアで共産政権が相次いで崩壊。
12月25日、ゴルバチョフがソ連大統領を辞任し、ソビエト連邦が正式に解体。
国内政治での挫折
改革への取り組みにもかかわらず、ゴルバチョフは国内で深刻な困難に直面しました。経済改革の遅れにより物不足が深刻化し、インフレが加速しました。また、各共和国で民族主義が高揚し、独立運動が拡大しました。
| 政治的立場 | 改革派と保守派の板挟み |
| 経済状況 | ハイパーインフレーションと物資不足 |
| 民族問題 | 15共和国での独立運動激化 |
| 軍部関係 | 1991年8月クーデター未遂事件 |
| 権力基盤 | エリツィンら急進改革派に主導権奪取 |
| 最終結果 | 1991年12月ソ連大統領辞任 |
国際的評価と遺産
ゴルバチョフは1990年にノーベル平和賞を受賞し、冷戦終結への貢献が国際的に高く評価されました。しかし、ロシア国内では複雑な評価を受けています。
西側諸国では平和の使徒として称賛される一方、ロシアでは「ソ連を解体させた人物」として批判的に見られることが多いのが現実です。2022年8月30日、91歳で死去した際も、この評価の二面性は変わりませんでした。