新の滅亡後、劉秀が洛陽を都として漢王朝を再興した。
後漢は紀元 25 年に光武帝(劉秀)が建国し、220 年に曹丕が魏を建てるまで続いた王朝です。前漢が王莽の新によって一時中断された後、洛陽を都として漢王朝を再興したため「後漢」と呼ばれます。安定と繁栄の時期がある一方で、外戚や宦官の専横、党錮の禁など政治的混乱も深刻でした。
建国と安定期
光武帝は内乱を収め、郡県制を整備しつつ豪族を抑えることで国家の基盤を立て直しました。彼の治世は「建武の中興」と呼ばれ、農業や経済が回復して比較的安定した時代を築きました。その後も和帝や章帝など有能な皇帝のもとで秩序は保たれました。
25
劉秀(光武帝)が即位し後漢成立
57
倭の奴国が朝貢
『後漢書』に記される「漢委奴国王」金印が贈られた。
166
党錮の禁
宦官と外戚の権力争いの中で儒学者が弾圧され、政治腐敗が進む。
184
黄巾の乱
張角率いる太平道が大規模農民反乱を起こし、後漢の衰退を決定づけた。
220
献帝が曹丕に禅譲
後漢が滅亡し、魏が建国され三国時代に突入した。
衰退と滅亡
後期には外戚や宦官が権力を握り、政治腐敗が深刻化しました。儒学官僚と宦官の対立は「党錮の禁」として現れ、知識人層の活動を制約しました。農民の困窮も進み、184 年には黄巾の乱が勃発して帝国の統治は崩壊状態となります。以後、董卓や曹操など地方勢力が台頭し、最終的に曹丕が帝位を奪い魏を建国したことで後漢は滅亡しました。
外戚や宦官の専横
政治の混乱と党錮の禁
農民反乱(黄巾の乱)
軍閥の台頭と魏の建国
後漢の歴史は、王朝再興の成功から始まりながらも、豪族支配・官僚制の限界・民衆反乱という問題が重なり、最終的には三国時代へ移行する大きな転換点となりました。