16歳で王となり、デンマークやロシアとの戦争を継承。
グスタフ2世アドルフ(1594年–1632年)は、スウェーデンを近代国家へと押し上げた偉大な王であり、三十年戦争におけるプロテスタント側の英雄として知られています。「北方の獅子」と呼ばれ、その軍事的才能と政治的手腕はヨーロッパ史に大きな影響を残しました。
即位は1611年、当時スウェーデンはデンマークやロシアとの戦争に苦しんでいました。若き王は軍事・政治の両面で大胆な改革を進め、国家の基盤を整えます。徴兵制度と常備軍を確立し、砲兵を重視した戦術を編み出すことで、従来の戦争様式を一新しました。さらに議会(リクスダーグ)との協力を重んじ、財政や行政の仕組みを整備したことで、強固な国家体制を築き上げました。
軍事改革
徴兵制度と常備軍を確立し、砲兵を機動的に活用する戦術を導入した。これによりスウェーデン軍は柔軟で強力な戦闘力を得た。
政治改革
王権を強化しつつ議会と協調する姿勢を示し、財政・行政制度を整備した。これが国家の安定と発展の基盤となった。
宗教政策
プロテスタント信仰を守るため三十年戦争に参戦し、カトリック勢力の拡大に立ち向かった。
彼の軍事的な頂点は、1631年のブライテンフェルトの戦いでした。ここで神聖ローマ皇帝軍を撃破し、プロテスタント勢力を救う大勝利を収めました。しかし翌1632年、リュッツェンの戦いで戦場に倒れます。勝利を手にしながらも、彼自身は戦死したのです。
1611
グスタフ2世アドルフ即位
1629
スウェーデン・ポーランド戦争終結
リューベック条約で和平を結び、バルト海支配を強化。
1631
ブライテンフェルトの戦い
皇帝軍を撃破し、プロテスタント勢力を大きく鼓舞した。
1632
リュッツェンの戦いで戦死
勝利を収めながらも、戦場で致命傷を負い世を去った。
彼の死後、スウェーデンは娘クリスティーナ女王の治世に移りましたが、グスタフ2世アドルフの遺した軍制と国家体制は受け継がれ、スウェーデンは大国として存続しました。