江戸時代の朱子学まとめ
江戸時代になって儒学が栄えますが、その一つに朱子学があります。藤原惺窩と林羅山が朱子学の流行を作り、センター試験でもこの二人はよく出てきます。林羅山は江戸幕府の身分制度を正当化するために上下定分の理を説いたことで有名です。
江戸時代の朱子学者
- 藤原惺窩(ふじわらせいか)
- 林羅山(はやしらざん)
- 山崎闇斎(やまざきあんざい)
藤原惺窩
藤原惺窩は近世儒学の祖と言われており、何人かの門弟を抱えていました。その一人が林羅山です。
林羅山
林羅山は上下定分の理、存心持敬、天人合一を説きます。
上下定分の理は、天が高く地が低いように、人が生きる社会でも上下の区分があるという思想です。将軍の下に幕臣がいるのも、士農工商という身分制度もこの理によって正当化されると説きました。これは林羅山が幕府の政治に深く関わっていたためと言えます。
存心持敬は、文字通りに読めば「敬を持ち、心を存在させる」となります。『敬』は本場中国の朱子学における『敬』と同じく、自分とその情欲をつつしむことです。居敬窮理(きょけいきゅうり)の『敬』。敬を持つことで自分の心が正常に保たれるということですね。
天人合一は古代中国から伝わる思想の一つで、天と人たる自分は一つである、または一つにしなければいけないという考え方。
山崎闇斎
山崎闇斎は朱子学と神学を融合させた垂加神道を説きます。神学の側面として天皇信仰を強調しながら、朱子学の側面として『敬』の実践も同時に強調しました。ここでの『敬』も林羅山と同じ『敬』です。