「コミュニケーションすることができる」を「コミュニケーションできる」と言ったとき、ニュアンスに違いはあるでしょうか?
大量の文章を書いてきて、私は
感情的には「することができる」と書きたいが、理性は「することができる」を拒絶する…
という結論にいつも至ります。
「コミュニケーションできる」のほうがスッキリしているけど、コミュニケーションはサ変名詞(「する」をつなげられる名詞)だから、「コミュニケーションすることができる」のほうが自然に見えなくもない。
実行というサ変動詞では
- 実行することができる
- 実行できる
となります。前者は冗長で、後者はスッキリしています。しかし日常の会話や適当に残すメモでは、意識しないとしばしば前者を採用しています。私だけかもしれませんが…。
多くの人がわざわざ冗長な「〜することができる」を使う理由は「する」の発音にあるかもしれません。これは私の憶測にもとづく仮説です。
「する」は非常に発音しやすい動詞で、舌の動作にエネルギーがほとんどいらない。一方の「できる」は濁音から始まるせいか、あるいは「゛」の見た目のせいか、サ変動詞と「できる」の間に壁があるような感じ。