「終り」という送りがなを見ると、私はムズムズしてきます。その後で「終わり」を見るとホッとする。送りがなの違いが意味に影響することはほとんどないけど、「終り」と「終わり」は例外に感じてしまう。
最初に言うべきだったけど、この記事はただの日記です。学問的なコンテンツはまったくありません…。
例えば村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は「終り」という送りがなを使っています。「終り」を使う文学や映画のタイトルは、多くないにしても、あることはあります。
ムズムズするけど、「終り」をまちがった日本語と言うのは難しい! そもそも言葉の正誤に明確な境界はないし、そのあいまいさが言語の進化につながっている。
という前提をもとに、両者の印象をざっくりまとめるとこうなります。
「終わり」
なにかが終わる。それ以上でもそれ以下でもない!
「終り」
詩的。終末を感じる。あるいは「精神的なおしまい」を感じる。
これはあくまでも私個人の印象です。事務文書に「終り」とあったら「…?」と感じちゃうけど、芸術的な文脈の「終り」はどこか詩的に感じる。その意味は単なる終わりでなく、ちょっと荘厳な感じのする終わり。
話はずれるけど、私は「おしまい」という表現をよく使います。これはやわらかい印象を与える言葉です。滑稽な感じもするし、とげとげしさを除去する力がある。
この三つを比較すると、漢字とひらがなの根本的な印象が透けて見えてくる。
漢字
ビシッとした感じ、悲劇的
ひらがな
なよっとした感じ、楽観的
文章を書くときはこんなところを意識するとメリハリがつくかもしれない。