伝説では、ロムルスによってローマが建国されたとされる年。
ローマ帝国は古代世界最大の帝国として、現在のヨーロッパ、北アフリカ、西アジアの広大な領域を支配し、約1500年間にわたって存続しました。紀元前27年にアウグストゥスが初代皇帝となって成立し、西ローマ帝国は476年、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は1453年まで続きました。
王政を廃止し、執政官を中心とする共和政体制が始まる。
カルタゴとの3次にわたる戦争で、ローマが地中海の覇権を握る。
ユリウス・カエサルが権力を握り、共和政の終焉が始まる。
アウグストゥス(オクタウィアヌス)が初代皇帝となり、ローマ帝国が成立。
トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニウス・ピウス、マルクス・アウレリウスらの治世で帝国が最盛期を迎える。
コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認。
テオドシウス帝の死後、帝国が東西に分裂。
ゲルマン人オドアケルにより最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位。
オスマン帝国によりコンスタンティノープルが陥落、ビザンツ帝国が終焉。
ローマ帝国の特徴として、優れた軍事力と統治システムが挙げられます。ローマ軍は厳格な訓練を受けた職業軍人からなり、工兵技術や攻城兵器の開発も進んでいました。また、征服地に対しては寛容な統治を行い、現地の文化や宗教を尊重しながら、段階的にローマ市民権を与える政策を取りました。
ローマ帝国が発達させた法体系で、現代の大陸法の基礎となりました。「十二表法」から始まり、後に「ユスティニアヌス法典」として集大成されました。
「すべての道はローマに通ず」という言葉通り、帝国全土に道路網を建設しました。また、水道橋、下水道、公衆浴場なども整備し、都市文明を発達させました。
ギリシア文化を吸収しながら、各地の文化と融合して独自の文明を築きました。ラテン語は学問や外交の共通語となり、現在のロマンス語族の基礎となりました。
当初は迫害されていたキリスト教が、313年のミラノ勅令で公認され、380年には国教となりました。これにより、ヨーロッパの精神的基盤が形成されました。
ローマ帝国の衰退には複数の要因が重なりました。3世紀以降、軍人皇帝時代と呼ばれる政治的混乱期に入り、皇帝の頻繁な交代により統治が不安定化しました。経済面では、戦争費用の増大と重税により財政が悪化し、貨幣の改鋳による貨幣価値の下落も起こりました。
国境防衛費の増大
軍事費の膨張
増税による経済圧迫
市民の反発と社会不安
外部からはゲルマン民族の大移動により、国境地帯への圧力が高まりました。内政の混乱により軍事力が低下する中、フン族の西進に押されたゴート族やヴァンダル族などがローマ領内に侵入し、最終的に西ローマ帝国の滅亡につながりました。
しかし、ローマ帝国の遺産は現代まで受け継がれています。法制度、都市計画、建築技術、言語、そして政治制度など、多くの分野でローマの影響を見ることができます。特に、共和政時代の元老院制度や皇帝制は、後の君主制や議会制民主主義の発展に大きな影響を与えました。