ジョン王が封建諸侯の圧力に屈して署名。課税や恣意的逮捕への制限が盛り込まれ、王権を制約する原点となった。
イギリスの議会政治は、中世ヨーロッパにおける王権と貴族、聖職者、そして市民層との間の交渉から徐々に形を整えていきました。王の専制に対抗して特権層が権利を主張する中で、議会という制度が発展していったのです。
1215
マグナ・カルタ
1265
シモン・ド・モンフォール議会
騎士や市民代表が初めて招集され、身分代表制の議会の萌芽が見られた。
1295
模範議会
エドワード1世が貴族・聖職者・各州の騎士・都市の市民代表を招集し、二院制の原型を築いた。
17世紀
王権と議会の対立
ジェームズ1世やチャールズ1世が議会と衝突。清教徒革命・名誉革命を経て議会の優位が確立された。
1689
権利の章典
名誉革命後に制定され、国王の専制を否定。議会の同意なしに課税や法律制定はできないと定められた。
こうして「国王の権力は無制限ではなく、議会の承認が必要である」という原則が定着しました。とくに17世紀の革命と権利の章典は、立憲君主制と議会主権を確立し、近代的な議会政治の基盤を築いたのです。イギリスはその後、世界に先駆けて安定した議会制民主主義のモデルを形成し、多くの国に影響を与えることになりました。