名誉革命(1688年)は、イギリスの歴史における大きな転換点であり、絶対王政から立憲政治へと移行する決定的な契機となりました。流血をほとんど伴わずに王権交代が実現したため「Glorious Revolution(名誉革命)」と呼ばれています。
名誉革命の背景
17世紀のイギリスでは、王権と議会の対立が続いていました。清教徒革命を経て共和制が一時成立しましたが、1660年に王政復古が行われ、チャールズ2世が即位します。その後を継いだジェームズ2世は強権的な政策を進め、特にカトリックを優遇する姿勢が議会や国民の強い反発を招きました。
ジェームズ2世のカトリック重視政策
議会・国民の強い反発
政権基盤の弱体化
王位交代と革命の進展
議会はオランダ総督ウィレム(後のウィリアム3世)とその妻メアリ(ジェームズ2世の娘)を招き、共同統治者としました。これによりジェームズ2世はフランスへ逃亡し、ほぼ流血なしに王権交代が実現しました。
名誉革命の意義
この革命によって、イギリスでは王権よりも議会の優位が確立しました。特に1689年に制定された「権利の章典」は立憲君主制の基盤を築き、国王の権力を法で制限し、議会の同意なく課税や常備軍の設置を行えないことを定めました。
権利の章典(1689年)
国王の専制を防ぎ、議会主権と国民の権利を保障した文書。後のアメリカ独立やフランス革命にも影響を与えた。
議会政治の確立
以後のイギリスでは、国王が議会と協力して統治する立憲君主制が定着し、現代的な議会政治の基礎となった。
その後の影響
名誉革命は国内の政変にとどまらず、ヨーロッパやアメリカにも影響を及ぼしました。自由主義的な思想の広がりを促し、近代的な民主主義制度の形成に大きな役割を果たしたのです。