フランス王シャルル8世がナポリ王国の継承権を主張してイタリアに侵攻。イタリア半島における外国勢力の本格的介入が始まる。
イタリア戦争(Guerra d'Italia、1494-1559年)は、16世紀前半にイタリア半島をめぐって展開された一連の国際戦争です。フランス、スペイン(ハプスブルク家)、神聖ローマ帝国などの大国がイタリアの支配権を巡って争い、ヨーロッパの勢力バランスを大きく変えた歴史的転換点となりました。
ルイ12世がミラノ公国とナポリ王国への権利を主張。スペインとの対立が激化し、イタリアが主要戦場となる。
教皇ユリウス2世、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、フランス、スペインがヴェネツィア共和国に対抗する同盟を結成。
フランス、教皇クレメンス7世、ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェが神聖ローマ皇帝カール5世に対抗する同盟を結成。
カール5世の軍隊がローマを占領・略奪。教皇の権威が失墜し、ルネサンス期の終焉を象徴する出来事となる。
フランスとスペインの間で講和条約が締結され、65年間にわたるイタリア戦争が終結。スペインのイタリア支配が確立される。
戦争の主要参加国と動機
アンジュー家の継承権を根拠にナポリ王国とミラノ公国への領有権を主張。イタリア進出により地中海での影響力拡大を目指した。
アラゴン王国の伝統的なシチリア・ナポリ支配権を基盤とし、フランスの南下を阻止してイタリア支配を確立しようとした。
フランスは特にナポリ王国に対して、アンジュー家のルネ・ダンジューの継承権を主張していました。一方、スペインはアラゴン王国がシチリアとナポリを支配していた歴史的経緯から、これらの地域への正統性を主張しました。
神聖ローマ皇帝カール5世(在位1519-1556年)は、スペイン王としてカルロス1世を名乗り、ヨーロッパ最大の領土を支配していた。
スペイン、ネーデルラント、オーストリア、神聖ローマ帝国の皇帝を兼任。
主要な戦闘と転換点
イタリア戦争期間中には数多くの重要な戦闘が行われ、それぞれがヨーロッパの政治地図を塗り替える結果をもたらしました。
シャルル8世率いるフランス軍がイタリア諸国連合軍と衝突。フランス軍は撤退に成功したが、イタリア征服の野望は挫折した。
カンブレー同盟軍がヴェネツィア軍を大破。ヴェネツィア共和国の本土支配が一時的に崩壊し、共和国存亡の危機となった。
フランス王フランソワ1世がスイス傭兵とミラノ公国軍を破り、ミラノを奪回。フランソワ1世の名声を決定づけた勝利となった。
カール5世軍がフランス軍を大破し、フランソワ1世を捕虜とした。イタリアにおけるハプスブルク家優位が決定的となった重要な転換点。
1527年のローマ劫掠とその影響
1527年5月6日に発生したローマ劫掠は、イタリア戦争史上最も衝撃的な出来事の一つでした。
カール5世の軍隊がローマに進軍
教皇クレメンス7世がサンタンジェロ城に避難
軍隊が市内を8日間にわたって略奪
ルネサンス文化の中心地が壊滅的被害を受ける
この事件により教皇の政治的権威は大幅に失墜し、カトリック教会の世俗的権力が制限される結果となりました。また、多くの芸術家や知識人がローマから避難し、ルネサンス文化の衰退が加速されました。
戦争の終結と歴史的意義
| 最終的な講和条約 | カトー・カンブレジ条約(1559年) |
| 締結当事者 | フランス王アンリ2世とスペイン王フェリペ2世 |
| 主要な取り決め | フランスがイタリアから撤退、スペインの支配権確立 |
| 政治的婚姻 | フランス王女エリザベート・ド・ヴァロワとフェリペ2世の結婚 |
| 領土の最終帰属 | ミラノとナポリがスペイン領、サヴォイアがフランスに返還 |
| 戦争の総期間 | 65年間(1494-1559年) |
軍事技術と戦術の革新
イタリア戦争は軍事史上重要な変革期でもありました。この時代に火器の使用が本格化し、従来の騎士中心の戦闘から歩兵と火砲を組み合わせた新しい戦術へと移行しました。
重装騎兵が戦場の主役を担い、個人的武勇と騎士道精神が重視されていた。
火縄銃、大砲、パイク兵の組み合わせによる集団戦術が確立され、職業軍人と傭兵が主力となった。
特にスイス傭兵の長槍密集隊形(テルシオ)とスペインのテルシオ戦術は、この時代の歩兵戦術を決定づけました。また、要塞建築技術も大幅に発達し、稜堡式要塞(trace italienne)がヨーロッパ全域に普及しました。
イタリア諸国への影響
本土領土の大部分を失いながらも共和制を維持し、海上貿易を通じて経済力を保持した。しかし地中海における覇権は徐々にオスマン帝国に移った。
メディチ家の復帰により共和制が終焉し、後にトスカーナ大公国として再編された。ルネサンス文化の中心地としての地位は維持した。
世俗的権力は大幅に制限されたが、対抗宗教改革を通じて宗教的権威の回復を図った。トレント公会議(1545-1563年)の開催により教義の再確立を行った。
スペイン支配下に入り、ロンバルディア地方の政治的独立は失われた。しかし経済的には繁栄を続け、絹織物産業が発達した。
イタリア戦争の終結により、イタリア半島の政治的統一は約300年間先延ばしされることになりました。スペインの支配下で、イタリア諸国は政治的独立を失いましたが、文化的・経済的活動は継続され、バロック芸術や科学革命の基盤が形成されました。
この戦争は単なる領土争いを超えて、中世から近世への移行期における国際政治の構造変化、軍事技術の革新、そして文化的パラダイムの転換を象徴する重要な歴史的事件でした。フランスとハプスブルク家の対立はその後も継続し、ヨーロッパの国際関係に長期的な影響を与え続けました。