フランス騎士ユーグ・ド・パイヤンが8人の仲間と共にエルサレムでテンプル騎士団を設立。ソロモン神殿跡地に本拠を置いたことから「神殿騎士団」と呼ばれる。
テンプル騎士団(正式名称:神殿騎士団、Knights Templar)は、12世紀から14世紀にかけて存在した中世ヨーロッパの軍事修道会です。十字軍時代に聖地エルサレムの巡礼者保護を目的として設立され、後に強大な軍事・経済力を持つ組織として発展しました。
教皇ホノリウス2世が騎士団を正式に認可。修道士でありながら武器を持つことが許される特別な地位を獲得。
十字軍遠征で重要な役割を果たし、ヨーロッパ全土に約9000の所領を持つ巨大組織に発展。銀行業務も手がけ経済的影響力を拡大。
フランス王フィリップ4世が騎士団メンバーを一斉逮捕。異端審問にかけられ、財産没収と組織解体が進められる。
教皇クレメンス5世が騎士団の解散を宣言。最後の総長ジャック・ド・モレーは1314年に火刑に処される。
騎士団の特徴と組織構造
テンプル騎士団の独特な特徴は、修道士と騎士という通常は相反する役割を併せ持っていたことです。メンバーは貞潔・清貧・服従の三つの修道誓願を立てながら、同時に武器を取って戦うことが許されていました。
騎士階級(貴族出身の戦闘員)、軍曹階級(平民出身の戦闘員)、聖職者階級(礼拝と事務を担当)の三層構造で組織され、厳格な規律で統制されていた。
騎士階級は白いマントに赤い十字を着用し、これが騎士団のシンボルとなった。白は純潔を、赤い十字はキリストのための殉教の覚悟を象徴していた。
常備軍として高度な軍事訓練を受け、十字軍の中でも最も規律正しく強力な戦闘集団として恐れられた。
ヨーロッパ全土とレバント地方に拠点を持ち、統一された指揮系統のもとで運営される国際的な組織だった。
経済活動と銀行業務
テンプル騎士団は軍事組織としてだけでなく、中世ヨーロッパ初の国際銀行としても機能しました。
巡礼者の財産預託サービス
為替手形システムの確立
王侯貴族への融資業務
ヨーロッパ最大の金融ネットワーク
騎士団は巡礼者がヨーロッパで預けた金銭に対して証明書を発行し、聖地で同額を受け取れるシステムを構築しました。これは現代の小切手や信用状の原型とされており、中世の商業発展に大きな影響を与えました。
特に信用創造の概念を実用化し、実際の金銭の移動なしに帳簿上の取引で国際的な資金決済を可能にしたことは、後の銀行制度発展の礎となりました。
預金に対する証明書発行と、各地での現金化システム。
衰退と解散の背景
テンプル騎士団の解散には複数の要因が絡み合っていました。1291年のアッコン陥落により聖地における軍事的役割が終了し、存在意義が問われるようになりました。
フィリップ4世は騎士団への巨額の借金を抱えており、組織解体により債務を帳消しにしたいという経済的動機があった
教皇クレメンス5世はフランス王の圧力に屈し、十分な証拠がないまま騎士団の解散を決定。政治的妥協の産物だった