エドワード3世がフランス王位を主張し、戦争が始まる。初期はイングランド軍が優勢を保つ。
ヴァロワ家は、1328年から1589年まで約260年間にわたってフランス王位を継承したカペー朝の分家です。フランス史上最も長期間君臨した王朝の一つとして、中世後期から近世初期のヨーロッパ史に大きな影響を与えました。
王朝の成立と継承
ヴァロワ家による王位継承は、1328年にカペー朝直系が断絶した際の王位継承危機から始まりました。シャルル4世が男子後継者なしに死去すると、フランス王位の継承権をめぐって複数の候補者が名乗りを上げることになります。
カペー朝直系の断絶(シャルル4世の死)
王位継承権の争い(サリカ法の適用)
フィリップ6世の即位(ヴァロワ家初代国王)
イングランド王エドワード3世の王位要求
フィリップ6世(在位1328-1350)がヴァロワ朝の初代国王となりましたが、この王位継承はイングランド王エドワード3世の強い異議申し立てを招きました。エドワード3世は母イザベラを通じてフランス王位への権利を主張し、これが後の百年戦争の主要な原因となります。
主要な君主と治世
ヴァロワ家は三つの分枝に分かれて王位を継承しました。
フィリップ6世からシャルル8世まで。百年戦争の大部分を経験し、ジャンヌ・ダルクの活躍やイタリア戦争の開始を含む激動の時代を統治。
ルイ12世のみ。イタリア戦争を継続し、「国民の父」と呼ばれるほど国内統治で成果を上げたが、男子後継者を残せず短期間で終了。
フランソワ1世からアンリ3世まで。ルネサンス文化の最盛期を迎える一方、宗教戦争により王朝は終焉を迎える。
百年戦争とヴァロワ家
ヴァロワ家の歴史は百年戦争(1337-1453)と密接に結びついています。この長期にわたる対英戦争は、フランス王国の存亡をかけた戦いとなりました。
ジャン2世が捕虜となり、フランスは深刻な政治的危機に陥る。王権の威信が大きく失墜。
シャルル7世の戴冠を実現し、戦況が劇的に変化。フランス軍の反攻が本格化する。
カスティヨンの戦いでイングランド軍が敗北。カレーを除くフランス領土を回復し、王権が確立。
この戦争を通じて、ヴァロワ家は単なる封建君主から近世的な絶対王政の基礎を築く中央集権的な王権へと変貌を遂げました。特にシャルル7世は常備軍の創設や税制改革を通じて、王権強化を推進しています。
ルネサンス期の文化的繁栄
ヴァロワ家の治世、特に16世紀前半のフランソワ1世の時代は、フランス・ルネサンスの最盛期として知られています。
フランソワ1世はメセナとして積極的な文化政策を展開し、シャンボール城などの壮麗な建築物の建設や、レオナルド・ダ・ヴィンチの招聘などを通じて、フランス宮廷文化の黄金時代を築きました。
芸術家や学者を経済的に支援し、文化の発展を促進する後援者。
ルネサンス発祥の地イタリアから建築、絵画、文学の新様式を積極的に導入し、フランス独自の様式に発展
1539年のヴィレ=コトレ勅令により、公文書でのフランス語使用を義務化し、統一言語政策を推進
宗教戦争と王朝の終焉
16世紀後半、ヴァロワ家はフランス宗教戦争(1562-1598)という深刻な内乱に直面しました。カトリック教徒とプロテスタント(ユグノー)の対立は、政治的・軍事的な衝突に発展し、王権の威信を著しく損なうことになります。
プロテスタント勢力の台頭と宗派対立の激化
聖バルテルミーの虐殺(1572年)による対立の決定的悪化
アンリ3世の暗殺(1589年)
ヴァロワ家断絶とブルボン家への王位継承
最後の王アンリ3世は、カトリック同盟とユグノーの板挟みとなり、1589年に修道士ジャック・クレマンによって暗殺されました。彼には男子後継者がなく、ヴァロワ家はここに断絶し、義兄弟であったナヴァル王アンリ(後のアンリ4世)がブルボン朝を開くことになります。
歴史的意義と遺産
ヴァロワ家の260年間の統治は、フランス王国の近世国家への転換期として極めて重要な意味を持ちます。百年戦争を通じた王権の確立、ルネサンス文化の導入と発展、そして宗教改革の衝撃への対応など、後のフランス絶対王政の基盤となる多くの制度や文化的伝統が、この時代に形成されました。
| 王権の性格 | 封建的分権制から中央集権的王権への転換 |
| 文化政策 | イタリア・ルネサンスの受容とフランス的展開 |
| 言語政策 | ラテン語から vernacular(フランス語)への移行 |
| 軍事制度 | 封建的軍役から常備軍制度への転換 |
| 外交方針 | 対ハプスブルク家戦略とイタリア進出 |
| 宗教政策 | カトリック統一からプロテスタント問題への対処 |