クレメンス5世(在位 1305–1314)は、フランス出身の教皇であり、その治世は「アヴィニョン捕囚」の始まりとして歴史に大きな影響を与えました。彼は本名をベルトラン・ド・ゴーといい、フランス国王フィリップ4世の強い影響下にありました。
即位の経緯とフランス王との関係
1305年、コンクラーヴェで教皇に選出された際、彼はローマではなくフランスで戴冠しました。これは異例であり、その後もローマに定住することなく、フランス南部のアヴィニョンに教皇庁を移す決断を下します。この選択はフィリップ4世との関係が深く影響しており、教皇権がフランス王権に従属する印象を与えました。
ローマに留まらずアヴィニョンを拠点にした
教皇庁の権威がフランスの影響下に置かれるようになった
テンプル騎士団の解散
クレメンス5世の治世で最も有名な事件のひとつが、テンプル騎士団の弾圧と解散です。フィリップ4世の財政的要求と政治的思惑に応じ、彼は1312年の公会議で騎士団を解散させました。これにより、教皇庁が世俗権力に利用される姿が一層鮮明となりました。
教会内外での影響
彼の政策は、教皇庁がローマから離れてフランスの支配下に移る端緒を作り、後に約70年間続く「アヴィニョン捕囚」につながります。また、テンプル騎士団の解散は中世ヨーロッパの騎士修道会の勢力図を大きく変化させました。
アヴィニョン捕囚の始まり
ローマからの移転は、後世に「教皇のバビロン捕囚」と呼ばれ、教皇庁の正統性を揺るがした。
テンプル騎士団の弾圧
騎士団は異端や不正の罪に問われたが、実際にはフランス王の財政的利害が背景にあった。
死去と評価
1314年、クレメンス5世は死去しました。彼の治世は、教皇庁が世俗権力に屈した象徴として評価されることが多く、中世後期の教会と国家の関係に大きな転換点をもたらしました。