バーゼル公会議(1431年〜1449年)は、教会の大分裂(シスマ)後のカトリック教会を再統一し、改革を推進するために開催された重要な公会議です。舞台はスイスのバーゼルで、当初は教皇庁と協力的に始まりましたが、やがて深刻な対立を招きました。
開催の背景
14世紀末から続いていた大シスマでは、複数の教皇が並立し、教会権威は大きく揺らいでいました。これに対し、教会会議の権威を教皇より上位に置こうとする「公会議主義」の思想が広がっていました。バーゼル公会議はその延長線上にあり、教会改革と権威の再編を目指しました。
教会の統一を回復する
腐敗した聖職者制度を改革する
異端問題に対応する
主な議題と展開
公会議では、聖職者の兼職や贅沢、免罪符の乱発など、制度的な腐敗に対処することが討議されました。また、フス派(ボヘミアの宗教改革運動)との和解も大きな議題でした。1433年にはフス派と「バーゼル協定」を結び、一時的に妥協を成立させています。
フス派に聖餐における二種類の杯(パンと葡萄酒)の使用を認めた。これは中世カトリック教会において異例の譲歩だった。
聖職者の兼職禁止や収入規制が議論され、一定の改善が試みられたが実効性は乏しかった。
教皇との対立と衰退
やがて公会議は教皇エウゲニウス4世と対立し、教皇の権威に挑戦する存在となりました。公会議は教皇を廃位し、新たにフェリクス5世を選出しましたが、この「対立教皇」は広く支持を得られず、実質的に失敗しました。
教会の最高権威は公会議にあり、教皇もそれに従うべきとした
教皇はキリストの代理人であり、その権威は誰にも凌駕されないとした
最終的に公会議は分裂し、支持を失っていきました。1449年には事実上解散し、公会議主義は衰退しました。その後は教皇権が再び強化され、トリエント公会議(16世紀)まで大規模な改革は先送りされました。
歴史的意義
バーゼル公会議は失敗に終わったものの、教会改革の必要性と限界を示す転換点となりました。公会議主義はカトリック内では力を失いましたが、後の宗教改革を準備する思想的背景ともなり、中世末期ヨーロッパの宗教・政治秩序に深い影響を与えました。