ヒッタイトは古代アナトリア(現在のトルコ中部)に成立した印欧語族系の王国で、紀元前17世紀頃から前12世紀にかけて栄えました。彼らは青銅器時代から鉄器時代への移行期に登場し、鉄の利用をいち早く進めた文明としても知られています。
成立と拡大
ヒッタイトは小アジア高原に拠点を築き、ハットゥシャを都としました。王権を中心とする強力な国家体制を整備し、周辺の都市国家や民族を征服して領土を拡大していきました。紀元前16世紀にはエジプト、新バビロニア、ミタンニと並ぶ大国となりました。
戦車部隊を中心とした強力な軍事力を有し、古代オリエントの戦争史に大きな影響を与えた。
鉄製の武器や道具を積極的に使用した最初期の文明のひとつであり、後の鉄器時代の到来を先取りした。
堅固な城壁と大規模な建築を備え、政治・宗教の中心地として栄えた。
カデシュの戦いと国際関係
紀元前13世紀、ヒッタイトはエジプトの新王国とシリアの覇権をめぐって対立しました。特にラムセス2世と戦った「カデシュの戦い」は有名で、古代最大規模の戦車戦とされます。この戦いの後、両国は史上初の平和条約を結び、国際関係の先駆的事例となりました。
シリア地方の覇権をめぐってエジプトと衝突
カデシュの戦いで激戦を展開
最終的に和平条約を締結
文化と法
ヒッタイトは粘土板に残された法典や外交文書で知られています。その法は比較的寛容で、殺人に対してもしばしば賠償金で解決するなど、メソポタミアの厳罰主義と対照的でした。また楔形文字を使用し、バビロニアやエジプトとの外交往来も盛んでした。
衰退と滅亡
紀元前12世紀、いわゆる「海の民」の侵入や周辺民族の圧迫により、ヒッタイト帝国は崩壊しました。ハットゥシャも放棄され、小アジアは分裂の時代に入ります。しかしその遺産は後の文明に大きな影響を与え、特に鉄の利用は古代世界の技術革新に決定的でした。