ヘンリー8世(在位 1509〜1547)は、イングランド史上もっとも有名な王の一人で、強烈な個性と宗教改革による大きな政治的転換で知られています。若い頃は学識に富み、音楽やスポーツを愛した王でしたが、次第に強権的な支配者へと変貌しました。
宗教改革と王権強化
ローマ教皇から離反する
イングランド国教会を設立する
カトリック教会との対立は、最初は王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚問題から始まりました。教皇が離婚を認めなかったため、ヘンリーはローマ教皇庁との関係を断ち、国王を頂点とするイングランド国教会を創設。これにより、王権は宗教的権威をも掌握し、国内の統制力を大幅に強めました。
六度の結婚
ヘンリー8世は6人の妻を迎え、そのほとんどが政治的な思惑と王位継承を巡る焦りによるものでした。
キャサリン・オブ・アラゴン(離婚)
アン・ブーリン(処刑)
ジェーン・シーモア(夭折)
アン・オブ・クレーヴス(離婚)
キャサリン・ハワード(処刑)
キャサリン・パー(生存)
この異例の結婚歴は後世にまで語り継がれ、彼の激しい気性と王朝存続への執念を象徴しています。
政治と経済
ヘンリーは戦争と宮廷の豪華な生活により財政を圧迫しましたが、修道院の解散によってその財産を没収し、王室の収入を一時的に増大させました。しかし、長期的には国家財政に深刻な問題を残すことに。
遺産
功績
イングランド国教会を確立し、王権を絶対化。中央集権体制の基盤を築いた。
影の側面
権力維持のために粛清を繰り返し、国民には重税を課し、妻や側近さえ容赦なく処刑した。
ヘンリー8世の治世は、宗教・政治・文化のあらゆる面で大きな転換点をもたらしました。彼の行動はしばしば残酷で専制的でしたが、イングランドの国家体制に決定的な影響を与えました。