電場は進行方向と直交していなければなりませんが、直交してさえいれば、どの向きを向いていてもかまいません。進行方向をこちらへ向けて見ると、電場が振れられるのは図の円の中の、あらゆる向きです。
向きが 1 つに決まっている光を直線偏光といいます。図の 2 本の矢印は、その決まった向きに沿って行き来する振れを表しています。
この自由さは横波だけが持つものです。縦波は進行方向にしか振れないので、向きを選ぶ余地がありません。偏光という現象そのものが、電磁波が横波である証拠になっています。
太陽や電球の光は、無数の原子がそれぞれ勝手に出したものが混ざっています。ひとつひとつは向きの決まった振れですが、集まったものを見れば、あらゆる向きが同じだけ入っています。
これを自然光といいます。図の左が自然光、右が直線偏光です。どちらも同じ速さで同じ向きへ進んでいて、違うのは振れの向きがそろっているかどうかだけです。
目は振れの向きを感じ取れません。だから自然光と直線偏光を、見ただけで区別することはできません。区別するには偏光板のような道具が要ります。
偏光板には、決まった向きの振れだけを通すはたらきがあります。通す向きを透過軸といいます。図では縦の縞がその向きを表しています。
自然光を通すと、出てくるのは縦にだけ振れる直線偏光です。斜めを向いていた振れも、縦の成分だけが取り出されて通ります。
通り抜けるのは、入ってきた明るさのおよそ半分です。あらゆる向きが同じだけ入っているので、平均すれば半分が残る、という勘定になります。板を回しても、自然光が相手なら明るさは変わりません。どの向きに回しても半分だからです。
1 枚目を縦、2 枚目を横にして重ねると、向こう側へは何も出てきません。図の右端がその様子です。
1 枚目を通ったところで、振れは縦だけになっています。横に通す 2 枚目から見ると、通すべき成分が 1 つも残っていません。だから何も出てこないのです。板が 2 枚とも透明であることと、光が消えることは矛盾しません。
2 枚のあいだの角度を とすると、通る明るさは に比例します。これをマリュスの法則といいます。 で になるので、直交させたときだけ完全に消えます。液晶画面はこの仕組みを使っていて、2 枚の偏光板のあいだで振れの向きを電気的にひねることで、明るさを画素ごとに変えています。