第一次世界大戦中、イギリスは各地域と無責任な約束をしてしまった。それが
の三つ。ざっくり言うと、これのせいでイスラエルと現代の中東はきわめて難しい状況に立たされている(と言っても反論は起きないはず……)。
そう、中東の長い紛争はイギリスに大きな責任があるのです。
フサイン・マクマホン協定
第一次世界大戦中、イギリスはアラブ人にこう言いました。

オスマン帝国に反抗して。もししてくれたら、アラブ人の国を認めるよ。
当時、中東はオスマン帝国に支配されていました。アラブ人たちはオスマン帝国から独立したかった。イギリスはアラブ人のその感情を利用し、「独立してもいいぜ!俺は認めるよ!」と約束したのでした。これをフサイン・マクマホン協定といいます。
サイクス・ピコ協定
フサイン・マクマホン協定とほぼ同じ時期に、なんとイギリスはフランスとロシアとトンデモ約束をしたのです。

第一次世界大戦が終わったら、中東を俺たち(イギリス、フランス、ロシア)で支配しようぜ!
おいおい、アラブ人の独立はどこにいった? アラブ人に独立してもいいよ、と言いながら、裏では分割統治を目論んでいた。
なんてことをしてやがる……。
バルフォア宣言
中東にはもともとユダヤ人の土地だった「イスラエル」があります。イギリスはユダヤ人にこう言いました。

第一次世界大戦が終わったら、ユダヤ人の国(イスラエル)をつくっていいよ。
要するにアラブ人、フランス・ロシア、そしてユダヤ人の三者三様に矛盾する約束をしてしまった。
ユダヤ人はイスラエル建国にあたってこのバルフォア宣言を重要な根拠にしています。そしてパレスチナ(アラブ側)もフサイン・マクマホン協定を根拠にする。
実際はもっと複雑ですが、フサイン・マクマホン協定とバルフォア宣言の矛盾こそが、今日まで続くイスラエルとパレスチナの問題をつくっているのです。