軍事改革と外交戦略によりギリシアを統合。
マケドニアは古代ギリシア世界の北方に位置する王国で、独自の発展を遂げながらも、ギリシア世界と深く結びついていました。紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王を輩出し、古代史に大きな影響を残しました。
起源と王国の形成
マケドニアは紀元前7世紀ごろ、アルゲアス朝の王族によって建国されたとされます。当初はギリシア都市国家に比べると辺境の存在でしたが、農業や牧畜を基盤に力を蓄えていきました。
フィリッポス2世の改革と勢力拡大
紀元前4世紀、フィリッポス2世が即位すると、軍事改革と政治改革を推進しました。彼は密集歩兵部隊「ファランクス」を強化し、周辺部族やギリシア諸都市を次々に制圧しました。その結果、コリントス同盟を主導し、全ギリシアを事実上統合しました。
フィリッポス2世の軍事改革
マケドニアがギリシアの覇権国家となる
アレクサンドロス大王の大遠征
フィリッポス2世の後を継いだアレクサンドロス大王は、東方遠征を敢行しました。彼はペルシア帝国を滅ぼし、エジプトからインドにまで広がる広大な帝国を築き上げました。その過程でギリシア文化とオリエント文化が融合し、後のヘレニズム文化の基盤が生まれました。
ヘレニズム時代とマケドニア
アレクサンドロス大王の死後、帝国は分裂し、マケドニア本国はアンティゴノス朝の支配下に入りました。以後、マケドニアはヘレニズム世界の一角として存続しましたが、次第にローマの拡大に圧迫されていきます。
ペルシアを滅ぼし、インドにまで進軍した。
ローマとの戦争に敗れ、マケドニア王国は終焉を迎えた。
ローマ支配下のマケドニア
マケドニアはローマによって属州とされ、以後はローマ帝国の一部として存続しました。この過程でギリシア文化とローマ文化が交わり、バルカン地域全体に大きな影響を与えました。
マケドニアの歴史は、辺境の小国から始まり、世界帝国を築き、そしてローマの一部へと変遷する壮大な物語でした。