オハイオ川流域での小規模衝突から全面戦争に拡大。
フレンチ・インディアン戦争(1754年〜1763年)は、北米大陸で展開されたイギリスとフランスの植民地戦争であり、ヨーロッパの七年戦争と連動していました。この戦争は、北米の広大な内陸部をめぐる領土と交易権益をめぐる対立から始まりました。特にオハイオ川流域は、イギリス植民地の拡張とフランスの防衛線が衝突する焦点でした。
戦争の背景と勃発
イギリスは大西洋岸の13植民地を拡大させつつあり、フランスはカナダとルイジアナを結ぶ領土を確保していました。両勢力の中間に位置するオハイオ川流域は先住民にとって重要な土地でしたが、そこに商業と軍事の利害が集中したため争いが激化しました。先住民諸部族はフランス側につく者とイギリス側につく者に分かれ、戦争に巻き込まれました。
オハイオ川流域を支配する
フランスとイギリスが衝突
先住民が両陣営に分かれて参戦
戦争の経過
当初、フランスは先住民との同盟を活かし優勢に戦いを進めましたが、やがてイギリス本国が大規模な増援を送り、戦況は逆転しました。1759年のケベックの戦いではイギリス軍が勝利し、フランスの北米支配は決定的に崩れました。
ヨーロッパで戦端が開かれ、北米戦争と連動。
イギリス軍がフランス軍を破り、北米の覇権が大きく動く。
フランスはカナダとミシシッピ川以東のルイジアナを失い、イギリスが北米の主導権を獲得。
戦争の結果と影響
1763年のパリ条約でフランスは北米の主要領土を失い、イギリスは広大な植民地を獲得しました。しかし戦費による財政難からイギリス本国は課税強化を進め、それがアメリカ独立戦争の原因となりました。先住民にとっては土地の喪失と自治の弱体化を意味し、戦争は大きな転換点となりました。
北米での覇権を確立し、カナダとオハイオ川流域を獲得。
カリブやインドに注力するため北米から撤退。
土地喪失と勢力後退が進み、以後の抵抗運動にも影響。
課税強化が植民地の反発を呼び、独立戦争の下地となった。