イギリスの議会政治の成立と発展
イギリスの議会政治は、中世以来の王権と貴族・市民との対立と妥協の中で形づくられてきました。1215年のマグナ・カルタは、国王ジョンが課税や逮捕に制限を受け入れた歴史的文書であり、議会政治の出発点とされています。その後、戦費調達の必要から王が諸侯や都市代表を召集するようになり、議会の制度が徐々に発展しました。
14世紀には貴族からなる上院(貴族院)と、騎士や都市代表からなる下院(庶民院)が成立し、二院制の基盤が整いました。さらに17世紀の清教徒革命や名誉革命は王権を大きく制限し、議会主権の理念を確立しました。1689年の権利章典によって、議会の同意なしに課税や軍隊の常備ができないことが明文化され、立憲君主制の枠組みが完成したのです。
1215
マグナ・カルタ
国王ジョンが貴族に強制され、課税や逮捕に制限を設ける文書を承認。議会政治の萌芽。
1295
模範議会
エドワード1世が聖職者・貴族・都市代表を招集し、近代的な議会の原型を形成。
1642-1649
清教徒革命(イングランド内戦)
国王チャールズ1世と議会が対立。王権の制限が進み、議会主権の理念が強まった。
1689
名誉革命と権利章典
議会が王を廃位し、立憲君主制を確立。議会の同意なしには課税や軍隊常備ができないことが明文化された。
18世紀以降は政党政治が発展し、ホイッグ党とトーリー党の対立を通じて内閣制度が定着しました。政府は議会に対して責任を負う仕組みを整え、議会中心の政治体制が確立していきました。さらに19世紀には選挙法改正により有権者層が拡大し、国民参加が強化されました。
王権を制限する
議会が国政を担う
選挙制度の改革で国民参加が拡大
こうしてイギリスの議会政治は、封建的支配の時代から立憲君主制を経て、近代的な議会制民主主義へと発展しました。その歩みは、後世の多くの国々に影響を与えるモデルとなったのです。