コンプトン効果

散乱された X 線は波長が伸びる

X 線を物質に当てると、ほとんどはまっすぐ通り抜けますが、一部は向きを変えて出てきます。これを散乱といいます。1923 年、コンプトンはモリブデンの K_\alpha 線(波長 0.0709 nm)を黒鉛に当て、45°、90°、135° の向きへ散乱された X 線の波長を、X 線分光器で測りました。

散乱された X 線には、入射したものより波長の長い X 線が含まれていました。伸びは散乱角 \theta が大きいほど大きく、90° では約 0.0024 nm で、0.0709 nm が 0.0733 nm になっていました。黒鉛のほかの軽い元素に当てても、同じ角度なら伸びは同じでした。

測ったスペクトルには、山が 2 つありました。入射と同じ波長の山と、伸びた波長の山です。散乱角を大きくすると、2 つの山の間隔が広がります。伸びない山が残る理由は、最後の場面で扱います。

散乱と同時に、電子が 1 個はじき出されます。この電子を反跳電子といいます。散乱された X 線が失ったエネルギーは、この電子の運動エネルギーになっています。

波として見ると波長は変わらない

光を電磁波と考えると、散乱は次のように説明されます。入射した X 線の電場が電子を揺さぶり、揺さぶられた電子が同じ振動数で電磁波を出します。トムソンが計算したこの散乱をトムソン散乱といい、出ていく波の振動数は入射した波と同じです。

振動数が同じなら波長も同じです。どの向きへ出ていく波も入射と同じ波長で、角度によって波長が変わることもありません。図の 3 本の波が同じ波長で描かれているのはこのためです。

波長が伸びる理由として、電子が X 線に押されて動き出し、ドップラー効果で波長が伸びる、という説明も考えられました。しかしそれなら、伸びは電子がどれだけ押されたかで決まり、X 線の強さや当てた時間で変わるはずです。測定では、伸びは強さによらず、角度だけで決まっていました。

光子に運動量を持たせる

コンプトンは、X 線を光子の集まりと考え、散乱を光子 1 個と電子 1 個の衝突として扱いました。衝突を計算するには、光子のエネルギー E = h\nu のほかに、光子の運動量がいります。

電磁波が運動量を運ぶことは、古典の電磁気学でもわかっていました。エネルギー E を運ぶ電磁波は運動量 \dfrac{E}{c} を運び、当たったものを押します。これが放射圧で、1900 年代のはじめにレベデフや、ニコルズとハルが測っています。

光子 1 個のエネルギーを E = h\nu とすると、運動量は p = \dfrac{h\nu}{c} です。c = \nu\lambda を使えば p = \dfrac{h}{\lambda} となり、波長が短いほど運動量は大きくなります。アインシュタインは 1917 年に、放射と熱平衡にある気体の分子の運動を調べ、光子 1 個を吸収したり放出したりするたびに \dfrac{h\nu}{c} の運動量がやりとりされると考える必要があることを示していました。

モリブデンの K_\alpha 線の光子は、エネルギーが 17.5 keV、運動量が 9.3 \times 10^{-24} kg m/s です。古典の放射圧と違うのは、この運動量が \dfrac{h}{\lambda} ずつ、1 回の衝突で 1 個の電子に渡されるところです。

運動量とエネルギーの保存

入射した光子の運動量を \dfrac{h}{\lambda}、散乱された光子の運動量を \dfrac{h}{\lambda'}、反跳電子の運動量を p とし、衝突の前の電子は止まっているとします。運動量の保存から、入射した光子の運動量は、散乱された光子と電子の運動量の和に等しく、3 本のベクトルは図のように三角形を作ります。

2 つの光子の運動量のあいだの角は散乱角 \theta なので、余弦定理から p^2 = \left(\dfrac{h}{\lambda}\right)^2 + \left(\dfrac{h}{\lambda'}\right)^2 - \dfrac{2h^2}{\lambda\lambda'}\cos\theta です。

エネルギーの保存では、電子のエネルギーを相対論の式で書きます。止まっている電子のエネルギーは mc^2、運動量 p の電子のエネルギーは \sqrt{p^2c^2 + m^2c^4} なので、\dfrac{hc}{\lambda} + mc^2 = \dfrac{hc}{\lambda'} + \sqrt{p^2c^2 + m^2c^4} です。

電子の運動エネルギーを \dfrac{p^2}{2m} と書くと、伸びは近似でしか求まりません。反跳電子の速さは光の速さよりずっと小さいので、数値はほとんど変わりませんが、相対論の式を使うと、近似なしで伸びが求まります。

エネルギーの式を \sqrt{p^2c^2 + m^2c^4} = \dfrac{hc}{\lambda} - \dfrac{hc}{\lambda'} + mc^2 と書き直して両辺を 2 乗し、運動量の式の p^2 を代入します。\dfrac{h^2c^2}{\lambda^2}、\dfrac{h^2c^2}{\lambda'^2}、m^2c^4 の項は両辺にあって消え、p も消えて、光子の波長と散乱角だけの式が残ります。

残った式を整理すると \left(\dfrac{h}{\lambda} - \dfrac{h}{\lambda'}\right)mc = \dfrac{h^2}{\lambda\lambda'}(1 - \cos\theta) となり、両辺に \dfrac{\lambda\lambda'}{hmc} を掛けると \lambda' - \lambda = \dfrac{h}{mc}(1 - \cos\theta) が得られます。同じ式は、同じ 1923 年にデバイも独立に導いています。

伸びる量は角度だけで決まる

得られた式 \Delta\lambda = \dfrac{h}{mc}(1 - \cos\theta) には、入射した X 線の波長も、当てた物質の性質も入っていません。伸びが角度だけで決まるという測定の結果が、そのまま式になっています。図の曲線がこの式で、\theta = 0 では伸びは 0、\theta = 180^\circ でいちばん大きい \dfrac{2h}{mc} になります。

\dfrac{h}{mc} は長さの次元を持ち、電子のコンプトン波長と呼ばれます。値は 2.43 \times 10^{-12} m です。90° では伸びがちょうどこの値になり、モリブデンの K_\alpha 線の 0.0709 nm は 0.0733 nm になります。コンプトンが測った伸びは、この式とよく合っていました。

反跳電子のエネルギーは、光子が失ったエネルギーです。180° に散乱されたとき、17.5 keV の光子は 16.4 keV になり、電子は約 1.1 keV を受け取ります。可視光では波長が 500 nm ほどあるので、伸びはいちばん大きくても波長の 10 万分の 1 ほどで、測るのは難しくなります。X 線を使えば、伸びは波長の数 % になります。

伸びない山が残るのは、原子に強く束縛された電子で散乱が起きるときです。電子が原子から離れずに原子ごと反跳すると、式の m は原子全体の質量になります。炭素の原子の質量は電子の約 22000 倍なので、伸びは 22000 分の 1 になり、測定では伸びていないのと同じです。

1924 年、ボーア、クラマース、スレーターは、エネルギーと運動量は 1 回ずつの過程では保存せず、たくさんの過程の平均として保存するだけだ、という理論を出しました。この理論が正しければ、散乱された光子と反跳電子は、1 個ずつ同時に現れるとはかぎりません。

1925 年、ボーテとガイガーは、散乱された光子と反跳電子を 2 つの計数管で別々に数え、両方が同時に数えられることを確かめました。同じ年にコンプトンとサイモンは、霧箱で反跳電子の飛んだ向きと、散乱された光子の向きを調べ、1 回ごとの衝突で運動量が保存していることを示しました。コンプトンは 1927 年に、この効果の発見でノーベル物理学賞を受けています。

光の粒子性
物質の波動性
原子のエネルギー準位
シュレーディンガー方程式
角運動量と水素原子
スピンと周期表
分子と固体
量子もつれ