インカ帝国滅亡とピサロ
インカ帝国は南米アンデスを中心に15世紀から16世紀にかけて栄えた巨大な国家でした。クスコを中心に、太陽神インティを信仰し、道路網や段々畑を整備し、高度な石造建築を築きました。伝説的な建国者から始まり、パチャクティの時代に大拡張を遂げ、最盛期には南北4000キロに及ぶ広大な版図を誇りました。
クスコの小国だったインカを大帝国へと拡大させる。
領土をさらに広げ、エクアドルやボリビアにも支配を及ぼす。
帝国の最大版図を実現。行政制度を強化。
後継者争いが激化し、内乱が勃発。
アタワルパが捕らえられ、帝国は急速に崩壊。
インカ社会はキープ(結縄)による記録、ミタ制による労働奉仕など独自の制度を持ち、マチュピチュやクスコの遺跡がその栄華を伝えています。しかし内乱の最中にスペイン人が到来し、歴史は急変しました。
スペイン人フランシスコ・ピサロがインカ帝国に侵入したとき、帝国内ではアタワルパとワスカルの間で内乱が続いていました。ピサロはこの混乱を利用し、1533年にアタワルパを処刑してクスコを制圧しました。その後、インカ帝国は急速に崩壊し、スペインの植民地体制に組み込まれていきました。
カハマルカの戦い
フランシスコ・ピサロは1532年、わずか数百名の兵を率いてインカ皇帝アタワルパと会見しました。これがカハマルカの戦いです。スペイン軍は突如攻撃を仕掛け、数千のインカ兵を壊滅させ、アタワルパを捕らえました。以後、帝国の支配機構は一気に崩壊しました。
アタワルパを捕らえる
莫大な金銀を身代金として要求
要求後にアタワルパを処刑
インカ帝国の支配構造を崩壊させる
ピサロは首都クスコを制圧し、傀儡の皇帝を立てながら実権を掌握しました。インカ滅亡の背景には、火器や騎馬の軍事的優位だけでなく、内戦による分裂や天然痘の流行、現地部族の協力も大きく作用しました。