日本の社会主義(片山潜と幸徳秋水)
江戸時代まで、日本は士農工商にもとづく階級の区別があった。明治維新でこうした区別は消えたが、代わりに資本家と労働者という対立が生じていった。
日露戦争で日本は勝利したものの、見返りはなく大きな損害を被っただけに終わった。第一次世界大戦が始まるまで日本は不況に陥り、この頃から労働者の不満は社会主義運動として展開された。
年 | 出来事 |
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1894 | 日清戦争が始まる |
1895 | 日清戦争が終わる |
1903 | 幸徳秋水、平民新聞を創刊する |
1904 | 日露戦争が始まる |
1905 | 日露戦争が終わる |
1911 | 片山潜、投獄される |
1910 | 大逆事件 |
当時の社会主義運動は、キリスト教の考えも持っていた片山潜と、中江兆民の思想を受けた幸徳秋水の二人を中心に起きた。
片山潜
片山潜はキリスト教の教育も受け、人道的な立場から社会主義の思想を広めた。安部磯雄と活動した時期もある。
幸徳秋水
幸徳秋水は中江兆民(ルソーの社会契約論を翻訳し、日本の民主主義運動に貢献した運動家)の教えから影響を受けた思想家。
幸徳秋水は日露戦争で非戦論を訴え、平和主義などを掲げた「平民新聞」を発行した。幸徳秋水と堺利彦は「平民新聞」でマルクス「共産党宣言」の日本語訳を掲載した。
1910年に大逆事件(明治天皇の暗殺計画)で逮捕され、死刑処分となった。
片山潜と幸徳秋水は社会主義的な立場をとったが、対立的でともに行動することはなかった。幸徳秋水は晩年にキリスト教を批判する原稿を書いているが、理由はわかっていない。