バタヴィア共和国とナポレオン時代:フランス支配下のオランダ
1795年、フランス革命軍の侵攻によりネーデルラント連邦共和国は崩壊し、バタヴィア共和国が成立しました。以後約20年間、オランダはフランスの衛星国として激動の時代を経験し、最終的に王国として再出発することになります。
フランス軍の侵攻
1794年末から1795年初頭にかけて、フランス革命軍がネーデルラントに侵攻しました。
1795年1月、異常な寒波で河川が凍結し、フランス軍は氷上を渡って進軍しました。オランダ艦隊すら氷に閉じ込められ、騎兵隊に「捕獲」されるという前代未聞の事態が起きます。
かつてプロイセンに鎮圧された愛国派がフランス軍に協力し、解放者として迎え入れました。
総督ウィレム5世はイギリスに亡命し、オラニエ支配は一時的に終わりを告げます。
フランス騎兵がテセル島沖で凍った海上のオランダ艦隊を「捕獲」した出来事は、軍事史上でも稀有な事件です。海軍が騎兵に降伏するという、通常ではありえない状況でした。
15隻の軍艦が馬に乗った兵士に投降した。
バタヴィア共和国(1795〜1806年)
フランスの支援の下、「バタヴィア共和国」が成立しました。「バタヴィア」は古代にこの地域に住んでいたゲルマン系部族の名に由来します。
フランス革命の理念に基づく共和国が宣言されます。
初めての成文憲法が制定され、中央集権的な統一国家への転換が図られました。
フランスの圧力で政体が変更され、執政官による統治に移行します。
さらなる政体変更で、一人の大評議員が支配する体制となりました。
7州の緩やかな連合、各州の主権、分権的
統一国家、中央集権、フランス式の行政区画
バタヴィア共和国時代に、旧来の州境を無視した新しい行政区画が導入され、中央集権化が進められました。これは連邦時代の非効率を解消する面もありましたが、フランスへの従属という代償を伴うものでした。
フランスへの従属
バタヴィア共和国は名目上は独立国でしたが、実際にはフランスの衛星国でした。
フランス軍の駐留費用を負担させられ、対イギリス戦争にも動員されました。
大陸封鎖令への参加を強制され、イギリスとの貿易が断絶。オランダ経済は大打撃を受けます。
ケープ植民地、セイロン、ジャワなどの植民地がイギリスに占領されました。
フランスの衛星国化
対英戦争への巻き込まれ
大陸封鎖令で貿易断絶
海外植民地の喪失
ホラント王国(1806〜1810年)
1806年、ナポレオンは弟ルイ・ボナパルトをオランダ王に据え、バタヴィア共和国はホラント王国となりました。
ナポレオンの弟として王位に就きましたが、次第にオランダの利益を代弁するようになります。
オランダ経済を守るため、密貿易を黙認するなど、ナポレオンの政策に消極的に抵抗しました。
オランダ語を学び、「私はオランダ人だ」と公言するなど、オランダへの愛着を示しました。
大陸封鎖令の厳格な実施、フランス利益の優先
オランダ経済の保護、密貿易の黙認、オランダ化
ルイ・ボナパルトはオランダで意外なほど人気を得ました。1807年のライデン火薬庫爆発事故では自ら被災地を訪れ、救援活動を指揮します。「善良王」(Lodewijk de Goede)と呼ばれた彼は、傀儡であることを拒否しようとしたのです。
この姿勢がナポレオンの怒りを買い、最終的に退位を強いられる。
フランスへの併合(1810〜1813年)
ルイがナポレオンの意に反し続けたため、1810年にオランダはフランスに直接併合されました。
ナポレオンの圧力に屈し、ルイは退位してオーストリアに亡命します。
オランダはフランス帝国の一部となり、独立を完全に失いました。
皇帝ナポレオン自身がアムステルダムを訪れ、大陸封鎖令の徹底を命じます。
多くのオランダ人がフランス軍に徴兵され、ロシア遠征で命を落としました。
フランス支配下で、オランダ人は徴兵・重税・経済統制に苦しみました。しかし同時に、近代的な法制度(ナポレオン法典)や行政機構の導入も進められます。
解放と王国の成立
1813年、ナポレオンのロシア敗退後、オランダは解放されました。
ナポレオンのロシア遠征失敗(1812年)
連合軍がフランスを圧迫
オランダで反仏蜂起(1813年11月)
オラニエ公ウィレム帰国
亡命していたウィレム5世の息子(後のウィレム1世)が帰国し、民衆に歓迎されました。
1815年、ウィレム1世を国王とするネーデルラント王国が成立します。
ウィーン会議の決定により、現在のベルギーを含む南部も統合されました(1830年にベルギーとして独立)。
連邦共和国、総督はオラニエ家
立憲王国、国王はオラニエ家
ナポレオン時代の遺産
約20年間のフランス支配は、オランダに複雑な遺産を残しました。
経済の疲弊、人口減少、植民地喪失、国民の苦難
中央集権化、近代的法制度、行政機構の整備、国民意識の強化
皮肉なことに、フランスによる統一支配の経験が、旧来の州権意識を弱め、オランダ国民としての一体感を強化する効果を持ちました。
現在のオランダの行政区画や法制度の多くは、ナポレオン時代に起源を持っています。フランス支配は屈辱的でしたが、近代国家への転換を促進した側面もあったのです。
連邦共和国の複雑な制度は、この時期にほぼ一掃された。
バタヴィア共和国からナポレオン支配を経てネーデルラント王国へという激動の時代は、オランダを前近代的な連邦共和国から近代的な立憲王国へと変容させました。この変化なくして、現代オランダの姿はありえなかったのです。